皆さまこんにちは。
7/15(金)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【堀内 みゆきさん】プロフィール
地球を愛する癒しの女神
はじめまして!ミセスユニバースジャパン2022ファイナリストの堀内みゆきです。
宜しくお願い致します。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
今まで縁の下の力持ちタイプで前に出るタイプではありませんでした。
今回応募したのは、影響力のある人になりたいと思ったからです。
自分を幸せにしてあげよ!
人生で悩んでいた時期について教えてください
私の人生は紆余曲折で、子供の頃から悲しんだり嘆いたりしてはまた這い上がってジェットコースターの様な人生でした。
1番初めにとても苦しんだのは、小学生高学年で母が癌で入院して、私が妹の面倒や家の事をしていました。
市営住宅の隣りの家の方がお弁当屋さんをされなていて、父が週に何度かの夕飯に、お弁当を注文してくれるようになりました。
そして父に預かった1ヶ月のお弁当代金をお隣りへ支払いにいったのですが、ある時お隣の方と父が外で顔を合わせた様で『お弁当代金を数ヶ月分頂いていません』と父に話していました。
私はちゃんと緊張感しながら払いに行っていたので、とてもビックリしました。
父は私を怒り泥棒扱いされました。
とても悲しくて、大人は嘘つきだと思いました。
そして私は大人になったら、ぜったいに嘘吐く大人にはならないと決めました。
母は居ない家で、痩せ細る母を心配しながら、とても傷ついた子ども時代でした。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
その後私が中学1年の時に母は亡くなりました。
亡くなった次の日が合唱コンクールで、実は合唱コンクールでわたしは、ピアノの伴奏でした。
実はピアノは習った事がなく、エレクトーンを少しだけ習って居たのですが、左手はコードしか弾いた事が無い私が、何故か課題曲二曲のうちの1曲を伴奏する事になりました。
母の病気の不安や、世の中の矛盾を嘆く心を伴奏の練習で夢中になる事で、不安定な精神が保てた様な気がします。
そして母が亡くなり悲しみのなか、私は次の日の合唱コンクールに、自分たちのクラスの出番の時だけ、伴奏に行きました。
母の死の悲しみの中、ピアノの前に座り指揮者を放心状態で見つめながら涙が溢れ、ふと気がついたら、指揮者は私を心配して見ていて、私は弾くタイミングを1回逃したようでしたが、無事に伴奏ができました。
ピアノを習った事がないわたしが、独学で練習して、無事に弾けるようになった奇跡は、
私は何かをやり遂げるパワーを持っていると感じた時でした。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
長女の私は家事をしながら2人の妹の面倒を見ながら成長して行きましたが、
お人好しの父は会社の同僚の保証人になり、その人の借金を背負い、借金に追われ貧乏な生活が始まりました。
まともに食べれるのは給食。
いつもお腹が空いていて、給食が楽しみで仕方ありませんでした。
高校は県立高校の家政科へ、家事をしながら勉強をして、やっと合格しました。
ですが授業料が引き落とし出来なかった人は、お昼ごはんの時間の放送で、事務室に来る様にと、なんと毎月クラスと名前が呼ばれるのです。
毎回名前を呼ばれる人はほぼ決まっています。
全校生徒が聞くお昼の放送でのそれは、まさに恥で生き地獄でした。
そのうちに毎月月末ごろのお昼は、放送を聞きたくない私は、1人何処かに行き時間を潰していたのでした。
借金に追われながら、父は自殺未遂をしたり、お金が無い事は、とても恥ずかしくて悲しい事。
そんな辛い体験をしてきました。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
高校3年生ではガリガリに痩せ細り、学校の先生が気付き病院に行き、『甲状腺機能亢進症』である事がわかりました。
入院生活を送りながら養護学校へ通い、なんとか出席日数は足りて、高校を卒業する事ができました。
そして卒業後に亢進症の手術をして、1年間の入院を経て友人と名古屋に出稼ぎにきて、がむしゃらに働き、父と妹に仕送りしながら、初めて自分のお金を手にして、好きな服を買ったり、美味しい物を食べたり、友達と遊んだりして、少しだけお金の心配の無い生活が初めてできました。
そして結婚と出産。
旦那さんはフィリピン人。
私は貧乏で病弱だったので、まるで自分に自信が無く、普通の恋愛や結婚は出来ないと決めつけていました。
そんな中での結婚。
ですか自分で産んだ子供は可愛くて可愛くて、出産は人生で初めて幸せを感じた時かもしれません。
子供は3人生まれましたが元夫は給料を渡してくれず私は昼も夜も働きながらの再び苦労生活。
そして私も子供も病弱だった為いろいろ試し学び、食を変えようと思い畑を借りて自然農法で野菜を育てたり、ボランティアをしながら、35歳の時には、元夫とフィリピンのイバに自然農法を伝えにフィリピンに移住しました。
ですがフィリピンでは、身近で殺人を目にしたり、ストリートチルドレンたちに、余のショックな生活がストレスになり身体を壊しパニック障害になり3ヶ月で帰国。
ボランティアは、なにも海外に行ったり特別な大きな事をする事だけが正しいのでは無くて、先ずは自分の足元からだと感じました。
自分か元気で笑顔でいること。
人と助け合い生活して行くこと等、小さな事から始めようと気付き日本に帰国しました。
犠牲愛を愛だと思い、自分が食べるお金も無いのに髪の毛振り乱してボランティア等をする。
元旦那さんからお給料を貰えず子育てしながら私が働いたお金で生計を立てていましたが、わたしは自分が幸せになれうと決意し、その後元々夫から逃げシェルターに保護されて母子寮に入りました。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
母子寮では虐めにあい、とても辛かったのですが『どんな事でも意味が有る』と前向きに捉え、海が近かったので子供たちが学校や保育園に行ったあとは自分を楽しむ時間。
毎日散歩をして、風や太陽、草花や自然を感じ癒されていました。
すると近くで『岩盤浴オープニングスタッフ募集』の大きな文字を見つけ、直ぐに応募し面接に行き、15人の中から2人が受かりそのなかの1人が私でした。
オーナーは遅番をお願いしたいと言い、母子寮の門限が7時。
なんと会社の寮として、住みたかった可愛いアパートをオーナーが借りてくれる事になり周りの方々の愛で私は復活しました。
元々働いていた会社からは、エステ機器やベッドを分割で購入させて頂き、小さな子供も育てながら自宅サロンと岩盤浴で安心して仕事をする事が出来、
寝る暇は無かったけれど希望に満ち溢れ充実した生活を送れるようになったのは先ずは『自分が幸せになる』と勇気を持ったお陰です。
最後に一言
どんなに苦しく暗いトンネルから抜け出せない様な時も、消えたくなった時も、頑張ってきた自分に小さなご褒美をあげて先ずは自分に優しくしてあげる。
自分が幸せになる事を第一優先に考える。
辛い現状からは逃げてもいい。
自分を守ってあげるのは自分しか居ない。
たった1回の人生だから、我慢しないで自分らしく輝いてもいい。
自分の人生を歩んで幸せになってもいい。
そんな風に考え方をポジティブに変えて行くことで、人生は彩り豊かになる事を体験しました。
辛い時は辛いと口にしてもいいし、我慢しなくていい。そしてまた少しずつ一歩一歩前に進めたらなと思っています。
私はまだまだ書ききれない程の信じられない様な体験もしてきています。
そんな方の生きる勇気になりたいなと思いチャレンジしました。
そして、人と、母なる地球に恩返しをしていきたいと思っています。
【堀内 みゆきさん】インスタグラムはこちら!
https://www.instagram.com/pinknoheart0720/
7/15(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
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