ミセスユニバースジャパン2022ファイナリスト

【Mrs. Universe Japan 2022 Finalist】No.09 金川 聡美 Satomi Kanagawa ~子ども食堂代表、ピアニストが奏でる優しさ協奏曲~

皆さまこんにちは。

7/15(金)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

【金川 聡美さん】プロフィール

子ども食堂代表として優しさを奏でるピアニスト

はじめまして!
ミセスユニバースジャパン2022ファイナリストの金川聡美(かながわさとみ)です。

「もし、生き残ったら残りの時間は社会の為に使いたい」と言ってこの世を去った母の言葉を引き継ぎ、自らボランティアで「南流山子ども食堂」をゼロから立ち上げ代表を務める。

これまでに述べ3777人へ食の支援を実施。

その他、無料学習支援「学び場」の運営、特に事情のある世帯に個別訪問の活動を行っています。

また本職がピアニストである事を生かし、どんな子もその子が望めば一緒に「音楽という文化」を享受する事が出来る共生社会を作るべく、

一般家庭の子供達に加え、発達障碍児やその親、児童養護施設の子供達、シングル親家庭、困窮世帯などを無料招待する「インクルーシブコンサート」の企画に力を入れています。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

これまでの「南流山子ども食堂」代表の活動を通じて得た、私の社会貢献に対する信念、生き方を、社会に発信していきたい。

そして社会貢献をしたい人がより身近に楽しく社会貢献活動ができる、「社会の優しい輪」を創造するために、応募しました。

ゼロから立ち上げた南流山子ども食堂。

その活動をしていく中で、「信念を社会に発信していく」と決めてからは、徹底して表に出る事を意識し、

数あるコンテストの中でも「人に与える事」「共生社会」にフォーカスを当てているこのコンテストと私の理念が一致し、非常に惹かれ、ミセスユニバースを選びました。

子ども食堂代表、ピアニストが奏でる優しさ協奏曲

人生で悩んでいた時期について教えてください

私がちょうどピアニストになると決意した16歳の時、大好きだった兄が突然交通事故で亡くなりました。

「お兄ちゃん、死んじゃった」という父からの電話を受けた時、、、

それまでには決して味わった事のないまるで心の奥底を叩き壊されるような衝撃で、
人の命は有限である事実を、人知を超えた何かから叩きつけられたように感じました。

そこから10年以上、兄の死は偶然だったのか、20歳の死には意味があったのか、人は何故生きているのか、など答えのない答えを探し、自分の心の中をさまよい続けました。

こうして若干16歳の少女には抱えきれるはずもない、兄からの宿題に日々格闘したのです。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

その後、日本の音楽高校、音楽大学を卒業し、海外の音楽大学に留学。

必死にピアノと向き合い、イタリアの国際コンクールで1位という華やかなタイトルを頂きながらも、いつも心の片隅には兄の死がありました。

しかし、兄の死から10年以上悩み続け、考え抜いた時間は、全て兄が死をもって与えてくれた人間としての「叡智」であったと今は確信しています。

そして「私は必ず社会に何かを残して死ぬ」と覚悟を決め、「生きられたら社会貢献がしたい」といって旅立った母の死をきっかけに、いよいよ南流山子ども食堂の立ち上げを決意したのです。

私の長男が生後10か月の頃でした。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

そんな私が数あるボランティア活動の中でも子ども食堂に拘ったのは、私の幼少期の体験に遡ります。

私の母は私が幼少期の頃から病気がちでした。

まだ私が4歳の頃、大好きだった母は「明日からお母さんはいないのよ、お父さんとネンネしてね」そう言い残し病院へと向かって行きました。

その後、母は家に戻りましたが、大分経ってから母が大きな病気を抱えているのだと理解しました。

そんな母は家でも体調が悪かったり、大きな手術のために入院する事などがありました。

そのたびに6歳上の姉は母親代わりとなり、小学校に行く前に洗濯物を干し、家族の食事を用意し、4歳だった私の幼稚園のお迎えをしてくれました。

姉が若干10歳の頃でした。

そして、私が小学5年生のころ、母が再度入院していよいよ命に関わるような困難な状況となり、家庭の雰囲気は厳しいものとなり、私もこの頃から家族の分の食事も作るようになりました。

宿題は出来ない、誰も時間の管理はしてくれない。

学校でいじめにも遭うようになり、自己肯定感はひたすら下がり、でも誰にも話せず苦しい時期でした。

しかし、そんな時でも、私の家に時々食事を持ってやって来てくれる母の友人のオバちゃんがいたのです。

そうです。

そのオバちゃんは「食事」を持っていくという事を通じて「大丈夫?お母さんいなくて大変でしょ。何かあったら連絡しておいで。」という、
つまり「貴方を気にしているよ」という優しさを届けにきてくれていたのだという事に、大人になってから気が付きました。

もう、その時のオバちゃんに直接恩返しをする事は出来ません。

でも、今度は元気になった私が、かつてオバちゃんからもらった「優しさ」を社会に返し、「優しさの輪」を繋ぐ事がそのオバちゃんへの最大の恩返しだと考え、母の死をきっかけに子ども食堂立ち上げを決意したのです。

しかし、子ども食堂の立ち上げは決して楽ではありませんでした。

驚くほど非協力的な行政に絶望し、あそこがダメだ、ここがダメだと社会や相手に対して不満をこぼし、私はいつも怒っていました。

自分は弱者の味方で正しく良いことしているのに何故分かってくれないのかと。

それでも様々な仲間の協力を得て何とか子ども食堂を立ち上げ、食事を届け続けて数年。

「ありがとう」と言ってはもらえるけど、結局彼らはいつまでも自立するには至らず、根本的に幸せな人は増えていかない事に気付き始めました。

一生懸命、相手や社会を変えようとしていたけど、相手も社会も1ミリも変わらなかったのです。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

そんな「社会貢献の在り方」を模索し続けている中、一人の女性に出会いました。

彼女はDV被害を受けている私と年齢の近い女性でした。

まだ小学生の子供を抱え、加害者の夫は家出をし、生活は困窮を極め「子供達にご飯を食べさせたい」と藁をもすがる思いで私に連絡をしてきたのです。

子供を守りたい一心で連絡してきてくれた彼女の勇気と愛を称賛し、私は全身で受け止めました。

「今日からあなたは私のお友達。」

そして、そこから私は頻繁に彼女の家に食材や手作り総菜を持って訪問し、かつてオバちゃんから私がもらった「貴方を気にしているよ」を届け続けました。

そんなある日、彼女から早朝に入った「助けて」という3文字のライン。

私は家着のまま彼女の家に駆け付けました。

そこには加害者である夫が子供の前で警察に連れていかれ、泣き崩れている彼女の姿がありました。

私はそっと彼女を抱きしめ、一緒に涙を流しました。

今でもその壮絶な光景は目に焼き付いています。

でも私は直ぐに「貴方はこれからの未来、幸せを選ぶことが出来る。それまで一緒だよ。」と伝えました。

そう、私は彼女のようにどんな困難な状況の人にも「幸せになる力がある」と心から信じているのです。

そして、その彼女は様々な困難を乗り越え、今では驚くほど強く生き生きとした素敵な女性へと変わってきたのです。

一方、私もその頃から支援している人達の行動、行政や社会への批判を一切やめました。

社会や目の前の不足・不満にフォーカスを当て怒りながら活動するのでなく、人間の持つ「優しさ」と社会を繋ぐ事に力を注ぐと決めたのです。

そこからは、活動に偏見や協力的でないと感じる所には自分の正論をたたきつけるのではなく、「こっちへ来て、こちらの窓から社会を覗いてごらん。こんな景色がありますよ。」というスタイルであろうと決めた。

そうしたら、子ども食堂の話を聞きたい!と各小学校での出前授業や、各団体への講演活動のお話を頻繁に頂くようになりました。

そうして楽しく活動しているうちに、あれほど非協力的だった行政とも今ではお互いに協力し合える素晴らしい関係性になりました。

支援している人達へも、とにかく何時も明るく、
「貴方が望めばもっと幸せになれるよ。ほら、ご飯食べよ。」と、軽やかに笑顔でおにぎりを差し出すと決めました。

そうしたら、困難な状況にあった方達から「仕事が決まりました!」「今が一番幸せと思えます」という連絡が少しずつ入るようになったのです。

もちろん拒否するも、変わらないのも自由。

私はもっと良くなりたいと望む人の手助けは出来るが、私が主導で他人を変えてあげる事は絶対に出来ない。

その場合はただ静かに、それぞれの「時期」を待ち、彼らの今を受け入れ、傍らで見守る。こうして徹底的に相手や社会を変えようという意識を自分の中から手放したのです。

そうしているうちに更なる奇跡が起こりました。

こぞって彼らが「私も誰かのためになる事がしたい」と支援を受けていたはずの人達が今度は誰かを助ける人間として私の元にかえってきてくれるようになったのです。

それは決して大きな事ではありません。

「この子供服もう使わないから誰かにあげて下さい」
「実家からお米がたくさん届いたので使って」

でも、自分の行動が誰かのためになる事で、元気になっていく彼らを目の当たりにし、人は誰かのためになって本当の意味で強く幸せに生きていけるのだ、と確信した時は、涙が出るほどに嬉しかったのです。

私の望む「社会の優しい輪」が繋がった、大きな大きな成功体験の瞬間でした。

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

2つあります。

1つは「優しい社会の輪」の在り方を社会に伝えたい。

私は社会の不足に怒り嘆く時間があったら、本来誰もが持つ人間の「優しさ」を社会において育みたい。

そして、今はまだ狭い社会に留まっているこの「社会の優しい輪」をミセスユニバースジャパンを通じて、日本全国、世界に広めていきたいのです。

小さな事で良い。「ちょっと誰かのために・・・」という人間の持つ優しい気持ちを取りこぼさず拾っていきたい。

 

2つめ「インクルーシブコンサート」を広めたい。

困難な状況にある子もそうでない子も一緒に「音楽という文化・教養」を楽しめる共生社会を目指した「インクルーシブコンサート」を社会貢献活動に本気で取り組む唯一無二のピアニストとして開催すると共に、同じ志の音楽家を増やし、世界中の子供達に「インクルーシブコンサート」を届けたい。

人間の根というのは一つの「輪」なんだと思います。

だから私は「優しい社会の輪」を創造して、どこまでも明るく、そして優しく強く、残りの人生を生き抜きたい。

そんな金川聡美という一人の女の生き様を社会に伝えていきたい。

最後に一言

誰かの為になった時、人は本当の意味で元気になれる。

【金川 聡美さん】インスタグラムはこちら!

https://www.instagram.com/kanagawasatomi/

7/15(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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