MUJ2022

【Mrs. Universe Japan 2022 Finalist】No.02 あかね 渉 Wataru Akane ~日本のマザーテレサ、ナイチンゲールになるミニモニナース~

皆さまこんにちは。

7/15(金)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

【あかね 渉さん】プロフィール

日本のマザーテレサ、ナイチンゲールになる ミニモニナース

はじめまして!

エントリーNo.2ミセスユニバース2022ファイナリスト あかね渉(あかね わたる)です。

渉は高校1年の時に病気で亡くした父の名前です。

父の分も人生を充実させて生きる!という決意と、見守ってもらっている安心感もありペンネームにつけました。

身長は150cmのミニモニナースですが、夢は大きく日本のマザーテレサ、ナイチンゲールを目指しています!

小学校高学年時の道徳の授業でマザーテレサについて学び大変感銘を受け、そこから尊敬する人はマザーテレサです。

中学生の頃、ユニセフのボランティア活動をきっかけに世界の貧困や子どもを取り巻く問題を知り「将来は世界に飛び出し、沢山の子ども達を救いたい!」と夢を持っていました。

高校生の時、虐待のニュースを新聞やテレビで見るようになり、先進国と言われる日本においてこんなに辛い状況の子ども達がいるのかと驚き、胸を痛めました。

その時、ふとマザーテレサが言っていた「平和のために家に帰り、家族を大切にしてあげてください」という言葉を思い出しました。

「世界の子ども達を助けたい!」という強い思いはありましたが、世界平和のためにも、
まずは同じ日本にいる身近な子ども達から救う必要があるのではと考え、将来は虐待などを受けている子ども達のケアやそれを取り巻く支援がしたいと思い始めました。

そして、今、乳児院という施設で看護師をしています。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

大会が“真に美しい人とは 与えられる人”というスローガンを掲げ“社会貢献“を目的としていたからです。

私は自身の健康のために日々ボディメイクをしています。

そして、去年コンテストに出ました。

その時、自分の頑張りを認めてほしい、グランプリを取りたいという承認欲求よりも、活動を通して得たことを発信したい!

私だからできることを伝えたい!

社会に役立たせたい!

という想いが募っていくことに気付きました。

仕事にやりがいを感じていましたし、ボディメイクも楽しんでやれていましたが、「個人でできることの限界」を感じていました。

そんな時、ミセスユニバースのスローガンが私の目に飛び込んできて、「私の求めるものはここにある!」と出場を決めました。

日本のマザーテレサ、ナイチンゲールになるミニモニナース

人生で悩んでいた時期について教えてください

高校一年生の冬です。

丁度15歳の誕生日の1か月後に父を病気で亡くしました。

それまでは念願だった第一志望の高校に受かり喜びでいっぱいでした。

また、反抗期もあり父と喧嘩することもあったのですが、高校が遠かったので学校への送り迎えを父がしてくれていて、車中、父娘で話す時間も増えていた時期でした。

そのため近くにいたのに父に対して何も出来なかった自分の無力感と大切な人を失った虚無感で人生で一番辛い出来事でした。

私の時間は止まっているのに、周りは何も待ってはくれず、悲しみも癒えぬまま一週間後のテストに向けて泣きながら勉強していたのを覚えています。

また、4人姉弟の長女で1番下の弟はまだ5歳でした。

いきなり大黒柱を失ってしまい、これからのことを考えると失意のどん底でした。

母を支えるために高校を辞めることも過ぎりました。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

私の中の小さな成功は高校二年生の時、憧れだったチアガールに入ったことです。

入るためにはテストを受ける必要がありました。

ダンスも未経験でしたし、テストに受かる自信はありませんでした。

しかし、父の死をきっかけに「一度しかない人生やりたいことに挑戦して精一杯生きたい!父の分まで生きたい」という思いが強くなったのと、塞ぎ込んでいた毎日を変えたかったのもありました。

それから未経験ながらも、テストに合格し、必死に頑張り三年生まで主要メンバーとして務め上げました。

一時は念願の第一志望で受かった高校を辞めることも頭を過ぎりましたが母やおば、おじ、祖父母の支え、周りの方々の協力があったお陰で部活もやりたかったチアガールも諦めるのことなくやり遂げることができました。

また、その後も大学まで卒業することができ、弟や妹も皆行きたい進路を選択させてくれました。

どんな環境であっても、自分自身が希望を失わず行動していけば未来は拓けると思えた時でした。

また、父が亡くなった直後、学校も授業も友人との関係も家も全て嫌になった時期があり、授業中気分が悪くなり一度だけ保健室に行ったことがありました。

その時の養護教諭の先生が私に寄り添って下さったことで、「年代は関係なく、子どもはその時々で悩みや悲しみがある。

私も自分が苦しんだ分だけ寄り添えるような大人になりたい」と思うことができました。

父を失った悲しみから高校生ながらに人の生死について真剣に考えました。

そこから、どんな人も最後は死ぬし、病気や事故に遭う可能性がある。

また、大切な人を失うこともある。

こんな悲しみは二度と味わいたくないし、悲しみや苦しみを無駄にはしたくないという気持ちも強くありました。

そこから医療的な知識や技術を得て、患者さんやご家族の気持ちに寄り添えるような看護の道を志しました。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

私は大学卒業後、東京の大学病院で8年勤務しました。

父と同じような世代の患者さんがいる成人病棟や念願だった小児医療まで最先端の場所でたくさんのことを学ばせていただきました。

小児科では毎日目まぐるしく忙しいながらも可愛い子ども達に癒され充実した毎日を働いていました。

その頃、今後のキャリアについてどうするか考えるきっかけがありました。

虐待疑いで3歳くらいの男の子が入院してきました。

男の子は頭に大きな衝撃を受けていたため精密検査を受けました。

無邪気でとても可愛く、虐待を受けているとは信じ難い気持ちでした。

大学病院では検査が終わると数日で退院します。

私は後ろ髪を引かれる思いでした。「この子は今後どうなるのだろう?退院後のケアがより大切ではないか?」と考えるようになりました。

そして「幸せとは何か」について真剣に考えるようになりました。

大学病院の小児科は白血病など、重い病気や障害を持つお子さんも多く辛く苦しい場面もあります。

しかしながら、沢山の笑顔が溢れる場所でもあります。

病気や障害があったとしても、寄り添い愛情を注いで抱きしめてくれる家族がいること、必要な医療を受けることができること、それらは「幸せ」の一つの形だと感じていました。

一方、何の罪もないのに身体的、精神的、性的な暴力を受けたり、ご飯が食べられないなどの虐待を受けてしまうあの男の子のような子ども達がいること、その件数が上昇の一途を辿る現実にとても苦しさを感じていました。

そのまま、大学病院でキャリアを積むことも考えましたが、高校生の頃の「虐待されている子ども達のケアをしたい、虐待をなくしたい!」という強い気持ちが出てきました。

その後悩みましたが1年後、乳児院に転職しました。

しかし、小児虐待を取り巻く問題の根深さに直面し、虐待を減らすことは簡単ではないという現実を知りました。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

その後、コロナなどもあり社会全体が不安に襲われました。

私自身、医療者としてできること、子ども達を守るためにどうしたら良いかを考えました。

そんな時「誰かの健康を守るためには自分自身が健康である必要がある」と考えボディメイクを始めました。

その後、パーソナルトレーニングに通いボディメイクの大会に出場し、入賞を果たしました。

素晴らしい仲間との出会いや応援してくれる人のお陰で自分1人では難しいことも、多くの人と手を取りあえば成し遂げられるかもしれない!

また、これらの経験を活かし、より社会に役立ちたい!発信したい!と思うようになりました。

それからミスコンに出場し児童虐待防止の啓蒙活動や子ども食堂、性教育、命の授業などができたらと考えるようになりました。

また、子どもが健やかに育つためお母さんをふくめた母子支援、女性支援もやっていきたいと考えています。

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

現在、私は乳児院で看護師として働き、虐待を受けた子ども達の心や体のケア、望まれない妊娠や養育の難しさから家で暮らすことができない子ども達の養育、母子支援活動をしています。

施設には次から次に同じような境遇、より酷い境遇の子ども達が入ってきます。

どんなに児童福祉に関わる人間が頑張っても頑張ってもとりこぼされる命や辛い境遇で新たに生まれる命があります。

そんな状況に私はやるせなさと悔しさ、悲しさ怒り色んな感情でぐるぐるすることがあります。

子どもは生まれる環境や育つ環境を選べません。

また、一度受けた傷は簡単には癒されません。

彼らの人生はこれから、、です。

・辛い思いをする子どもを減らしたい‼︎
・虐待を未然に防ぎたい‼︎
・悲しい苦しい、生きづらい境遇で生まれる子どもを減らしたい‼︎

という思いが日に日に強くなっています。

どれも1人ではなかなか成し遂げることが難しく時間がかかる事柄ですが、ミセスユニバースを通じて切磋琢磨する仲間や支援者の方々、活動全体の持つパワーをお借りすれば一歩前進するような気がしています!

私は今は一看護師ですがいずれ、尊敬するマザーテレサや先輩ナースのナイチンゲールのように世界に向けて発信し、影響を与えられる存在になりたいと思っています。

活動を通し、「日本における子どもを取り巻く社会問題」を知って頂くきっかけや、問題解決に向けた活動を行い、社会がより良くなるお手伝いができたらと思っています。

世界中の子ども達を愛で包みたい‼️

という思いはユニセフのボランティア活動をしていた中学生の頃から変わりません。

尊敬するマザーの教えに感銘を受け自分の手の届く範囲から、やっていきます。

身長は150cmとミニモニサイズですが、夢は大きく!まず一歩踏み出します‼️

また、私が実現したいことに向かっている姿勢や行動、過程を通して、誰かの笑顔や元気、勇気、力に変わりモチベーションに繋がったら嬉しいです✨

精一杯頑張りますので応援頂けたら大変光栄です!

最後に一言

“幸せはいつも自分の心が決める”

私が大好きなあいだみつをさんの名言です。

誰のものでもない私だけの人生!

精一杯楽しみましょう!

私は自分で自分の幸せを決め、自分と自分の周りの大切な人達に愛を注ぎHappyに生きると決めています。

「どうせ無理」なんて諦めずまず一歩踏み出し、自分と周りの誰かを笑顔にできたら世界は明るく元気になるのではないでしょうか!

【あかね 渉さん】インスタグラムはこちら!

7/15(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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