MUJ2022

【Mrs. Universe Japan 2022 Finalist】No.44 森田 有紀 Yuki Morita ~あきらめない事で見つけられた気付き~

皆さまこんにちは。

7/15(金)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

【森田 有紀さん】プロフィール

成長をあきらめないミドルエイジ

ミセスユニバースジャパン2022年ファイナリストの森田 有紀(もりた ゆき)と申します。

本業は一般の会社員として、不動産関係の仕事をしています。
現在13歳の息子を育てるシングルマザーです。

1人の女性として、1人の仕事人として生き生きとしていたい。
そして子供が誇れる元気でユニークなお母さんでいたい。
そんな想いで、これまで走り続けてきました。

平日はとにかく仕事・生活で慌ただしく息つく間もない日々。
ですが、大変ながらも充実した日々を送っています。

たまの休日に、息子と近場の川べりをランニングしてリフレッシュすることが楽しみの1つです。

既に人生の折り返し地点を過ぎた今、いかに残りの人生を幸福度高く日々を過ごせるかを日々模索しています。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

正直なところ、ミセスユニバースに出場されるような方々とは、異なる世界に生きていたように思います。

ここで表現する「出場されるような方々」というのは、社会に貢献したい、心身共に美意識高く、輝ける自分にチャレンジするような高い志を持った方という意味です。

毎日の生活で精一杯で、休日は自分の体を休める事、子供とコミュニケーションを取れることで心が満たされていましたし、「私なんか」という考えが強く自己肯定感も低かったので、自分が表舞台に立とうとする等の世界は、ご縁もなく考えもしなかったのです。

そんな私ですが、人生の折り返し地点、ちょうど45歳の誕生日を迎えた年に、今まで送ってきた人生の答え合わせをしたいと思い、自己啓発・ビジネス系のセミナーや、自己啓発本を読み漁り、振り返りの年にしました。

このような自分自身の振り返りを通して、友人ができました。

ここで出会った方々は、会社を辞めて自らビジネスを立ち上げる人、クラウドファンドに挑戦する人、新たなビジネス展開の為に日々模索している人等、生き生きとチャレンジを続ける方ばかりでした。

そんな私は、「ただのサラリーマン」。

それなりに誇りをもって仕事をしていて、「私はきっと、どこに行っても通用できる社会人になれたよね。」という自負はありました。

ですが、そこにいた仲間達は私とは全く異なる次元にいる人達ばかりでした。

そんな時、そのスクールを通して友人になった方が、ミセスユニバースジャパンの運営者さんから委託をうけて、広告を制作し、それを披露してくれました。

そこには、運営代表者さんのパワーワード

「挑戦の先に広がる未来がある」

という眩しいパワーワードと、輝いているコンテスタントさんの写真がありました。

私は、このコンテストに応募することによって、知り合えた仲間達に、少しでも爪痕を残し、存在感を得たいという下心(笑)を持ち、そして45才の記念にもなるかなという想いで、思い切ってエントリーしました。

あきらめない事で見つけられた気付き

人生で悩んでいた時期について教えてください

「お父さんがもっと、ちゃんと家に働いたお金を入れてくれて、ちゃんと帰ってきて
くれれば、お母さんだってもっと幸せになれると思う」

私が中学校2年生くらいだったと思います。

家族会議で、私が生まれて初めて父に意見した言葉。

自分の中では勇気をもって発言した言葉。母は暖かい眼差しで見てくれていました。

一方、この日を最後に、父は二度と家に帰らない人となりました。

私の成長に比例するように、ギャンブル依存の父が徐々に家に帰らない日が多くなっていきました。

給料を母に渡さず、親子で父が入り浸る雀荘に回収に向かうみじめさ。
なんとなく貧乏で、なんとなくクラスメイトから虐げられて。

どうして私はこんな家に生まれたんだろう。

自分が誇りに思える親の元に生まれたかったと、いつも自分に置かれた環境を受け入れず、心の中で親を蔑みながらこんな親に絶対ならない。

という想いを抱きながら成長しました。

体育教師になりたいとおぼろげな希望を抱き大学も進学はしましたが、想定以上に学費が嵩み、母親に無理をさせ、私も新聞奨学生等で無理をしてまで通う意味が見いだせず、途中で学費を払わず除籍処分という形で大学を中退しました。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

目標も見いだせないまま自分の置かれた環境を受け入れない自分がいました。

まるで現実逃避をするかにように、早朝から深夜まで、アルバイト掛け持ちをしながらとにかく何も考えずに働き続けるという生活を1年しました。

目標もなくただ体を酷使する日々。そして稼いだお金を浪費する日々。

でも仕事を通して、出会いを通して、1つ気付きがありました。

このままではいけない。学びなおさないと。

一念発起して、大学の通信教育課程に入学しました。

通信教育課程は、誰でも入学できますが、卒業が通学生よりも非常に大変。

コツコツとレポートを提出し、そのレポート課題が合格で初めて単位試験を受ける権利が与えられ、試験に臨むという流れです。

入学者に対し、卒業できる比率は1割以下。

その中で、何とか4年で卒業することができました。

テキストを読んでもわからず、泣きながら勉強したこと、壁にテキストを投げつけたこともありました。

だけれど、どうしたら前に進めるかをあきらめずに模索したこと、粘り強く取り組んだ結果としての、私にとっての大きな成功体験となりました。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

大学を卒業した後、晴れて社会人となった私は、人並みに恋愛し、人並みに結婚し離婚を経験しました。

そして、子供がおしゃべりできない頃から、すでに1人身でした。

シングルマザーですし、子供も小さいので、一般的にはそれなりにハンディキャップがあると思われるでしょう。

でも、会社にとっては、そんな私の家庭の事情なんて関係ないし、特別扱いもされたくない。

仕事で結果を残して認められたいと、自分の中に抱いていたあるべき像に向かってひたすら走っていました。

保育園に迎えに行った後に職場に戻り、こっそりおんぶをしながらデスクで仕事をする事もありました。

そんな生活は、おんぶからベビーカー、自分で大人達に挨拶できる年齢成長するまで続きました。

とても救われたのは、そんな環境を息子が比較的楽しんでいてくれたこと、職場の仲間達も黙認し協力してくださった事でした。

今となってはコンプライアンスなどで考えられませんが、本当にいろいろな方々に支えられて、育児休業復帰後からなんとか仕事を積み重ねていきました。

今振り返ると、ハチャメチャな生活だったかもしれませんが、4年程で配属されている店舗のリーダーに抜擢されたときは、今までの頑張りが評価されたという嬉しさでいっぱいでした。

しかし、リーダーとなってからは、求められるスキルが変わりました。

プレイングマネージャーとして、営業とメンバーのマネジメントを両立することは、当時未熟だった私にとって、とてもつらい試練の時期となりました。

相手を想い助言やアドバイスをしているつもりでも、受け手側には伝わらない。なかなか聞いてもらえない。そんなジレンマに苦しみました。

いろいろなマネジメント本や人間関係の本を読み、模索しながら少しづつ成長していけたものの、自分のコアになる気持ちの部分を変えられず、いつも自分の正義感というか、自分軸に当てはまらない人や物事を、心の中で受け付けられないことは変えられず、常にストレスを抱えていました。

まるでストレスや憤りを肥やしに生きているようでした。

ただこのような生き方では、年齢を重ねる事に、疲れていきます。

もう少し、楽に生きられないものかな。と自問自答する日々が続きました。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

そんなとき、私は講演家の鴨頭 嘉人さんという方に出会い、Yotubeの講演や、コミュニケーション方法の講座に通うようになりました。

鴨頭さんのメッセージを通して、

「今の現実は、自分自身の生き方の結果。だけれども、自分次第で、未来はいくらでも変えることができる。」

学び、成長をすることは、心豊かに生きることができる素晴らしい手段だということを学びました。

そして、自分自身を肯定できない原因は、自身が抱く親への想いが原因だったことを学びました。

ギャンブル依存症だった父は、依存症であったという出来事で、出来事で善悪を評価せず、「自分が生を受けた根源の魂」として、ただ感謝をすることで、自分自身を愛せるようになる。

という気付きを得られました。

あるものに、感謝して、心が喜ぶ生き方をしよう。

過去の悲しみや憤り、こだわりにとらわれた生き方はもう卒業しよう。

そして、今までの失敗や生きずらさも、これからの成長のために必要な経験だったんだ。

自分自身を前向きにとらえられるようになりました。

私は、世間からみれば、良い年をした中高年かもしれません。

でも私は、私自身が幸せになるために、成長をあきらめなかったからこそ、新しい世界を体感することがことができたと感じています。

日々固定観念にとらわれていて窮屈だった私自身が、こんな私だからと思っていた私が、
今は前向きで、生きることが楽になった。元気になった。

この体験を私だけにとどめておくのはもったいない。

いくつになっても成長をあきらめずにチャレンジする大人が増えていけば、大人も子供も今の自分に幸福感を持ち、そして未来に夢と希望をもてるようになると思っています。

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

私は、自分のミセスユニバースの出場を、1つのチャレンジとして「成長をあきらめなければ、何歳になっても、生き生きと輝ける」を体現します。

とても素晴らしいものを持っているにも関わらず、なんとなくの日本特有の価値観にとらわれ、自分の可能性や未来をあきらめてしまっている大人を目にします。

私はもう年だから無理。私には特別な才能なんてないから無理。

学歴がないから無理。お金がないからできない。。。

ならば、いい年したこんな私でも、あきらめない気持ちと勇気をもってチャレンジする姿で、どこかのだれかに、元気や勇気をもってもらえる存在になれるかもしれない。

どこかのだれかに、夢と希望をもってもらえる存在になれるかもしれない。

世の中に、いくつになってもチャレンジしている元気な大人が増えたら、大人も子供も自分の未来に希望を持てるようになるのではないでしょうか。

生きていればなんでもできる。生きてさえいれば、いくつになっても、何度でもチャレンジできる!

失敗したとしても、それは挑戦をすることで得られる価値。

どんどん挑戦し続けて、成長していけばよいと思っています。

最後に一言

何歳になっても、どんな状況でも、あきらめる必要はないと思います。

私はこんなもんだ、とリミットを設けずに、チャレンジしませんか。

何歳にになっても。

だれでも輝き続けられます。

【森田 有紀さん】インスタグラムはこちら!

https://www.instagram.com/yukim228/

7/15(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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