皆さまこんにちは。
7/15(金)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【武藤 与子さん】プロフィール
会うと元気になる人間パワースポットエステシャン
はじめまして、皆様こんにちは
Mrs universe Japan2022ファイナリストの武藤与子(むとうくみこ)と申します。
東京都在住
銀座で小さなプライベートサロンを営んでおります。
日々、ご来店頂いたお客様に癒しと共にお顔と心や気分が上がるお時間をご提供させていただいております。
お店はお客様達が愛のある口コミをたくさん投稿して下さるお陰で
このコロナ禍でも毎日忙しく素晴らしいご縁と素敵なお客様に恵まれ、
そして支えられて幸せに仕事をさせて頂いております。
銀座で人気サロンを経営なんて側から見たらとても恵まれた素晴らしい人生かもしれません。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
私がMrs universe Japanのコンテストに応募した理由は4つあります。
長くなりますが生い立ちを含めてお話させて下さい♪
私は、両親のそのまた両親も教育関係者という厳格な家庭で育ちました。
特に一緒に暮らしていた祖父は超有名政治家や財閥の家庭教師などもしていた事もあり、
とても厳しく
「女の子はワガママではいけない」
「自己主張してはいけない」
「お姉さんなんだから我慢しなさい」
と、かなり抑圧されて育ってきました。
私は子供の頃から少し、いや、そこそこ変わった子で普通の子が当たり前に出来ることが
できなかったりと、周りの大人たちから「どうしようもない」「ダメ」なレッテルを貼られてしまい、
私はずっと大人達に嫌われてしまってるのではないかと大人の顔色ばかりみて、好かれたくて喜んで欲しくて自分の気持ちとは裏腹に周りの言う事ばかりを聞いて、自分の感情を押し殺して生きてきました。
それに加えて親の離婚や再婚、そしてまた離婚により出戻った事で小学校では酷いいじめにもあいました。
子供の頃から身長も大きかったので
「どうしようもない、価値のない私」は悪目立ちするのが嫌で
どんどん内向的になってしまいました。
なので今でも人前に出たり大勢の人の前で喋ったりするのが大の苦手です。
人の目も気になるし、人からどう思われてるのかも気になるし、緊張で怖いとすら思っています。
そんな幼少期から学生時代を過ごし抑圧された家が嫌で、二十歳そこそこで結婚して家を出ました。
しかし結婚生活の終盤にはパートナーのモラハラなど様々な事があり…
自分が一番信頼していた人に裏切られ、毎日酷い言葉を投げつけられ、脅され続けていくうちに鬱になりかけてしまい、体重は10日で8キロも落ちてしまう程でした。
しかし子供を守らなきゃ、、という思いだけで奮起し、離婚調停を経て20代後半で離婚
離婚時の一悶着、ふた悶着で精神的ダメージを負っているところに幸せそうな家族連れを見ると、
「子供から父親を奪ってしまったダメな私…」
「みんなが当たり前に出来ている結婚生活すら出来ないダメな私」と
私のメンタルはもう下がる所がない底辺まで落ちてしまいました。
そして知り合いの紹介により銀座の高級クラブで働き出します。
キラキラと眩いばかりに輝く世界ですが、私のようなHSPエンパスでズタボロに自己肯定感の低い人間には全てがしんどい毎日でした。
そして、雇ってもらってるんだから残業しなきゃ、アフター行かなきゃ
お酒飲まなきゃ、、みんなの言うこと聞かなきゃ、、役に立たなきゃ…
価値のないゴミカスな私はクビになるかも…と、また自分の感情を押し殺し毎日の様に、朝まで引き摺り回されやっと帰宅し
眠いし疲れてるけど子供の弁当を作り学校にいかせてからやっとねむりにつく。。
子供のため、家族のため、仕事のため。
今思えば毎日生きるのに精一杯で自分の意思など全くなかったのです。
子供の学費や留学費用、家族の面倒、家のローンなどを考えたら今の仕事以上に稼げる仕事はないなぁと辛さに蓋をしていました。
そして、これは言おうか迷いましたが…
そんな中、手塩にかけて大切に大切に育てていたつもりだった可愛い我が子がカナダ留学から戻ってきてから心の病気になってしまい、精神安定剤や睡眠薬を大量に摂取する薬物依存症になってしまいました。
色々な病院やドラッグストアをハシゴして大量に薬を手にし、そして大量に摂取し、何度も救急車で運ばれ一時は重篤な状態になりました。
時には道路で寝むりこんで盗難にあったり、ところ構わず昏睡状態になり命がある方が本当に不思議な状態でした。
そして、依存症の病院に入院させる事にし、鍵のついた閉鎖病棟に入る息子を見送った時に
なぜ、こんな事になってしまったのだろうと涙と悲しさと後悔。
自責の念が止まらずに私が夜働いていたから寂しい思いをしてこうなってしまったのかな、、
もっと寄り添っていたら、、
もっと見ていたら、、
私がダメな親だったから…と
自分の事を責める事、自分の事を傷つけて苦しめる事しかその時は出来ませんでした。
依存症の病院では色々なプログラムがあり、依存症患者の家族の為のプログラムもありました。
そこには色々な依存性の方がおり、依存症患者をもつ家族は砂の城の様にもろく
崩れ出すと家庭の全てが崩れて家族やそのまた家族も崩れていきます…
ギャンブル、アルコール、クレプト、摂食障害、薬物依存…
私は親側の立場も子供側の立場も両方ともわかるので、違う依存症のご家族でも
患者に振り回されて毎日心が休まらず辛さや気持ちは一緒なので、
共に泣いたり共感したり、アイデアを頂いたりその家族プログラムに参加してた皆さんが、心の支えや理解者でありました。
そして皆さんが何も心配する事なく心から安堵し眠れて幸せになって欲しいなと思いました。
「私はもう大丈夫」1%が浄化された誕生日
人生で悩んでいた時期について教えてください
そして、息子が何度も何度も入退院を繰り返し、自分も体調を崩して作り笑いですら出来なくなり、夜の世界を引退しました。
息子の症状は進む一方でちょっとでも目を離すととても危険な状態になるので、ろくに睡眠も取れない中耳を覆いたくなる様な残酷で悲しい言葉を沢山浴びせられ、毎日がジェットコースターのようで…
先の見えない長くて暗いトンネルの中で息子と2人で迷子になっていました。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
自分と息子の将来に絶望感しかなかった時にある女性に出会いました。
その方に
「貴女は自分の人生を生きていない」
「でも、良く頑張ってきたね」と言われ、
ぐうの音もでずにその場で私は嗚咽するくらい大号泣してしまいました。
そして、その時に、
ああ、私は幼い頃から弱い自分やダメな自分がバレないように感情をひた隠しにしてたけど、本当はずっとずっと泣きたかったし辛いって言いたかったんだな。と思い、
そこから、他人よりも自分の事を大切にし感情を押し殺しすぎず、我慢しすぎず生きていけるようになり、
少しずつ、少しずつ、価値のなかった、
私なんかが
私だから、、に変わって行き始めました。
そこまでに2年かかりました。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
2年前に、「自分の人生を生きていない」と言ってくれた今では姉のような、私の人生のメンターにこう言われました。
『くみちゃまは99%自分は幸せだ!って思ってるけど1%また悪い事が起きたらどうしよう、、とかどうせ私は幸せになれないんだ、、とか思ってるよね?
たった1%なんだけどあなたの、その1%はものすごーーーく根深いの!
あなたはもう、幸せになっていいの!
自分にはもう何も起こらない、私はもう大丈夫!って思いなさい」と言われました。
その1%、、まさにその通りで幸せの気持ちを脅かす黒い小さな塊がいつも心のどこかにありました。
正直、その時はそんなポジティブに考えられない、、
最悪の事態とか、こんな世の中でいつ何が起きるかわからないんだから、それなりに考えておかないと…
100%は難しい、、
そう思っちゃうのも私だし、いつかわかる日がくるかもしれないから今はま、いっか!と思っていました。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
15年間勤めあげた夜の仕事をやめ、自分が何をしていたら魂と心がワクワクして1番幸せだろうかと色々と考え、微々たる貯金と、国と親に借金をし、銀座に小さなプライベートサロンをオープンしました。
美容を通じサロンにご来店下さるお客様にもブログやInstagramを見てくださってる方にも
「40歳を過ぎても怖くないんだよ!お肌のケアや体のケアをして丁寧に自分と向き合えば肌も体も心もちゃんと応えてくれるんだよ!」
とお伝えしています。
時間もお金も使ってご来店下さるお客様は命を使って来てくださってるのと一緒だからこそうちのサロンに滞在して下さる時間がお客様にとって癒しと幸せで、
来て良かった〜!と思って頂けるようにお客様に全力で向き合う…
そんな気持ちをモットーに仕事を頑張っていたら
自己肯定感が上がった。
歳を取るの怖くなくなった。
くみさんみたいになりたいです。
今日ここに来れるのを楽しみに1か月頑張りました。
ここにくると幸せな気持ちになれるから混んでる帰りの電車ですら幸せだし、旦那さんにもイライラしなくなったよ。
と言っていただけるようになりました。
逆にむしろ私の自己肯定感を上げてくれたのは他でもないサロンのお客様です。
どうしようもないと思って生きてきた私に生き甲斐とやり甲斐を与えてくれ、自信を授けて下さりここまでこれたのも、辛い時に支えてくれたのも、他でも無くお客様たちの言葉と
お客様たちが下さる愛のこもった口コミでした。
そして、今回のミセスユニバースファイナリストになれた事も皆さん自分の事のように心から喜んでくれ、感動して下さったりとっても応援して下さってます!
私は、決して不幸自慢や自分自身の辛かった体験や生い立ちを聞いて欲しかったわけでも話したかった訳ではなく……
むしろ、自己開示する事にとても抵抗がありました。
可哀想とか、大変だねと思われるのが嫌だったので、この話は私の深く関わってる方しか知りません。
しかも、息子の事もありますし、公の場で公開するという事は一生消えないのと同じ事なので息子の将来の事も考えお伝えする事自体、大変悩みました。
しかし、今までの私の経験を通じて少しでも誰かの光や希望になれたらと思い、
そして、息子も書きなよ!と言って応援してくれているのでお話させていただきました。
誰しも生きていれば多かれ少なかれ辛い事や苦しい事はあると思います。
それをどう受け止めどう考え、どう動くかでその後の出来事も大きく変わっていきます。
たとえ、今どん底で辛くても、自分を諦めなければ暗くて長いトンネルの先に一筋の光が
見えてきます。
色々な事を乗り越え昨年の自分の誕生日に大好きな宮古島に行きました。
大好きな海を見ながら温泉に浸かっていたら、本当に幸せな誕生日だなぁ〜と心からとっても幸せな気持ちになり、
2年前の誕生日は息子が死にかけて頭がおかしくなりそうなくらいに辛い誕生日だったよなぁ…
今まで本当に良く頑張ってきたね!
辛かったよね、偉かったね〜!
と自分を褒めてあげたらとめども無く涙が溢れてきて人目も憚らず温泉で泣いてしまいました^^;
そして、その涙と共に
「ああ、私はもう大丈夫だ!」
私はもう幸せになっていい、いや幸せしかないでしょっっ♪
と思えたんです。
1%が浄化された瞬間でした。
その宮古島での誕生日が私のbreakthroughとなり、それからは、自分の魂と心のままに
自分の魂が喜ぶことだけをしようと、
そして、人生の後半戦に向けて自分の人生のやり残しをしたいと思いました。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
仕事と、finalistの活動を両立しながら毎日が学びと気付きの連続に感謝しています。
エントリーしてからのこの数ヶ月で自問自答を繰り返し、こんなに自分と対話した事は今までの人生でありませんでした。
その甲斐あって、日々本当に学びと気付きの連続です。
気持ちがぶれそうな時は息子や仲間、お客様に叱咤激励されながら大変充実した日々を送っています。
そんな尊い機会下さったMrs universe Japanには心から感謝しています。
ミセスユニバースジャパンとして伝えていきたい事が3つあります。
第一に、世の中の頑張り屋さんで自己犠牲精神や自己肯定感が低い優しい女性たちに
自己肯定感の大切さや自分を愛する事の大切さ、自分が一番の味方であり親友でありベストパートナー!
どんな時も寄り添える一番の理解者でいてほしいです。
もちろん、パートナーやご家族、友人、知人、お仕事関係の方など色々と関わって下さってる皆様から沢山の幸せを戴いてると思います。
しかし、本当に自分を心から満たして幸せにできるのはご自分です。
そして、守るのも自分自身。
だから我慢したり、自分を押し殺してしまい他人軸になり、
自分の人生の舵を他人に渡してはならないのです。
自分が自分の人生の脚本家であり、そして、主役なのです!
もっと自分を愛して大切にして我慢せず言いたい事を言ってもいいのです。
ダメな自分、出来ない自分、
どうやっても好きになれない自分、、
それをひっくるめて全て自分。
そんな自分を認めて愛する事。
しかし自分を大切にする…って事自体真面目で繊細で頑張り屋さんだと罪悪感に感じたりしちゃう事もあります。
私もそうでした。
口で言うのは簡単で、それを頭で理解する事も心から理解することは本当にとっても難しいのです。
物事や子育てに、絶対や正解はない。
これで良かったんだ!は、未来の自分が知っています。
そのことをわかって頂けるように、私が色々経験してきた事を魂を込めて…
「私なんて、、」とゴミカス同然と自分で自分に呪いをかけていた私が
私なりに皆さんにお伝えして、勇気付け、心の滋養となる事ができたらなと心から深く思います。
それが、私の魂の使命だと感じております。
第二に、美容と年齢について。
若さは財産だと思います。
何事も失敗しても回復力も早い。
歳を取ると体も心もキツい、、
だけど、もう歳だし…
歳だから無理だよ、、と自分に制限をかけてはならないのです。
制限をかけたら、そこから上がる事はなく下がる一方で、スラムダンクの安西先生じゃないけど諦めたらそこで試合終了なのです。
人間誰しも生まれた時から歳を取りそして必ず死んでいきます。
その長さは人それぞれだけど平等にその時はやってきます。
たった一度の人生、歳だからで自分をあきらめないでネガティヴにならないで欲しい。
何より、70兆近くある細胞達に思考で呪いをかけ老けさせてはいけないのです。
いくつになっても何かにチャレンジする事は素敵な事だし、私がそうだったように苦手だって克服できます。
そして美容面でいえば諦めない限りはお肌はちゃんと応えてくれます!
きちんと向き合っていたらお肌は絶対に裏切らないのです。
キレイは幾つからでも始められるのです!!
第三に
日本ではまだまだネガティブでブラックなイメージを持たれてしまう様々な依存性ですが…
海外では受け入れられてボランティアなども沢山あります。
日本でももっと認知されていけば良いなと思いますし、依存症のご家族や患者さんの心のケアやボランティア活動、認知活動などをしていきたいと思っております。
そして、最後は自分の為に…
私は幼少期の頃からの体験から人前に出るのがとても苦手でした。
人からどう見られてるか、人からどんな風に思われてるか怖くて、なるべく目立たないように陰にいるタイプでした。
Instagramも昨年から顔を出して投稿する様になりましたが、人に見られるのが怖い、評価が怖くて本来なら限定公開にしたい程でした(笑)
そのくせ、人と同じが嫌なこだわりの強い個性派なので、本当の本当の本質の私はきっと目立ちたがり屋なんだろうなと思いました(笑)
4か月後の日本大会を想像し、大勢の観客の前でのスピーチやウォーキングのランウェイなど今から想像しただけでも心臓がバクバクして口から飛び出そうです…
ですがエントリーした以上、弱音は吐いていられません!
4か月後にはライトと注目を浴びて笑顔で皆さんの視線が気持ちいい〜!と
快感になってる位のメンタルになるよう楽しみながら頑張ります♪
私は今まで子供や家族、生活の為、というか生きる為に色々と頑張ってはきたけど、
自分の為に何かを一生懸命努力したり、頑張ったり目標や夢を持つって事が今まで全く無かったなってuniverseにエントリーしてから気付きました。
今回、私は初めて自分のために自分の苦手を克服し、大きく変容し人生のやり残しをします!
そして、新しい世界の扉を開け新しい自分に会いに行きます。
どんな人でも人生は無限大の可能性がある。
自分に制限をかけずに世界に羽ばたいて行けるように頑張って挑んでみます。
いくつになっても苦手は克服できるしレベルアップ出来る。
ただ、それは自分の固定概念を外し、気づく事。
そして、いくつになっても人って変われるんだ、、と誰かの心に何かしらでもそっと灯をともせたら幸せです。
最後に一言
幸せはいつも自分の心が決める。
私たちは全員幸せになるために産まれてきた。
生き方や幸せを決めるのは運命ではなく自分自身の心と思考。
人生はRPG
生きていれば山あり谷あり平坦な道ばかりではないけど、決して自分を諦めないかぎり
幸せの宝箱をたくさん見つける事ができ、そして手に入れる事ができる。
幸せはいつも自分の心が決めるんだ
心のままに…自分の魂と心を喜ばせてあげよう!
自分を諦めない。
それは、美容も自分の心も…
【武藤 与子さん】インスタグラムはこちら!
7/15(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
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