MUJ2023

【Mrs. Universe Japan 2023 Finalist】No.15川崎恵子 KEIKO KAWASAKI ~人生の最期に寄り添う慈愛の女神~

皆さまこんにちは。

7/7(金)に行われる、ミセスユニバースジャパン2023ファイナリストの皆様をご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

川崎恵子さん】プロフィール

昭和世代の介護福祉士

初めまして!
ミセスユニバースジャパン2023ファイナリストの川崎恵子です。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

もともと、人前で話すことに苦手意識がありました。

そして2年前、大きな発表の場でうまく話せず、苦しい経験をしました。

この時、このままではいけない、人の前でも堂々と自信を持って話せるようになりたい、そう思って「話し方の学校」へ入学。

少しづつ人生が変わり始めた所で、ミセスユニバースチャレンジの話が飛び込んで来ました。

身長も低く、地味めなおばさん、何より、ワンオペ子育ての影響で、おしゃれには全く無頓着。

自己肯定感も低く「私なんて」と思う日々。

でも、そんな自分を変えたいという想いと、このチャンスを逃したら次はない、そう思って、50歳の記念にチャレンジしました。

そして昨年度に引き続き、2年連続のチャレンジとなります。

人生の最期に寄り添う慈愛の女神

人生で悩んでいた時期について教えてください

自然豊かな田舎の地で、両親と妹弟の5人家族の長女として誕生。

両親の仕事が不安定で、家は貧しく貧乏でした。

妹弟の面倒、母親の内職や家事の手伝い、長女として「家を支えなきゃ」と頑張るも、父親は借金癖もあり、生活は楽ではありませでした。

中学を出たら働くのが当たり前と言われ、親を説得し、高校、短大に進学。

働きながら学費と生活費を稼ぎ、短大を卒業、地元に金融機関に就職。

しかし、しがらみからの根本的な開放と自由を求め、田舎を離れ上京。

短大での学びを活かし、働きながら介護の資格を取得し1996年介護業界に就職。

1997年結婚、すぐに妊娠。 当時は、介護保険の始まる前でもあり、デイサービスの職員として、バリバリと介護の仕事に従事していました。

しかし当時はまだ、乳幼児の保育園の数は今よりもっと少なく激戦。

出産しても働き続けるには環境や条件が厳しく、職場からも「育休制度はありません」と断言されました。

男性上司からは「10年位したら、また戻ってきてください」と退職を促され、当時はまだ、職場や世間の理解は厳しい時代でした。

夫は中学校の教員でもあり、部活の顧問をしていました。

土日も部活や試合で、休日はありませんでした。

やりがいだらけだった職場を退職し、ワンオペで子育てに専念する毎日。

もともと、短大の選考が幼児教育科だったこともあり、退職後は切り替えて、子育てを楽しんでいました。

しかし、いつかは仕事に戻りたい、そんな思いを常に抱えていました。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

家事育児に専念し、そこからたくさんの気づきがありました。

ママ友との出会い、新しい趣味や特技の発見、地域の活動やボランティアに参加したり、季節の生活を楽しんだり。

自分の引き出しも増え、世間に対する見方も変わりました。

そして何より、子どもとの濃密な時間が、かけがえなく楽しかった。

さらに、子どもと季節の行事や自然と触れ合うことで、自分の幼い頃の楽しい想い出を追体験。

辛かったと思えた過去も浄化され、人生の中で安らぎの時間を過ごすことができました。

そして、子どもの頃に自然と植え付けられた価値観が、やはり心の底で脈打っている事に気付きました。

本当にいろんな人がいて、人それぞれで、その人の人生がある。

その人の価値観は唯一無二であり、尊重すべき大切な要素であると、介護福祉士としての理念を無意識のうちに再確認していました。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

子どもは3人。

子育てに影響しない単発パートなどで家計を支えつつ、子ども中心に生活する一方で、やはり成長に合わせてそろそろ何か仕事がしたいなと思い始めていた時に、夫の借金が発覚しました。

末の子が1歳でした。

家計を支えなくてはと背中を押されるも、昼間のフルタイムで働くには、まだまだ保育園は激戦で、準備と環境が整いませんでした。

子どもを保育園に預けなくても働けるという理由で、夜勤専門のホームヘルパーのパートの仕事を見つけました。

夕方、夜勤出勤時、ママ友に子どもを預け出勤。

夜、帰宅した夫が迎えに行く。

翌朝は上の子にお世話を頼み、夜勤明け、猛ダッシュで家に帰る。

ママ友やご近所さん、地域の子育てネットワークにも助けてもらいながら、末の子が小学校に上がるまで、夜勤専属で続けました。

子どもを犠牲にして仕事していると考えていたこの時期、やりがいはあるけれど、申し訳ないと思う日々。

しかし、仕事は決して穴を空けず、徐々に自信が着いてきました。

一方で子どもも大きくなり、いよいよ正社員へとチャレンジ。

しかし、「次ね」「待っててね」とパートのまま。

待つしかないのかな、と、フツフツとした気持ちで仕事を続けていました。

再び、、田舎を飛び出す前の様に、思い切って新しいステージへチャレンジすることをためらい、自分の気持ちを押し殺していたのかも知れません。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

黙々と介護の仕事をこなす中、パートのままの現状を打破したいと、「多職種連携推進課程」という週1で1年課程の外部研修にたどり着きました。

ここなら、仕事しながら通えると、思い切って飛び込んでみました。

そこには、介護福祉士、看護師、ケアマネ、相談員、行政など、様々なフィールドで活躍するメンバーがいました。

働きながら学ぶ仲間との出会い、ここでの学びが起爆剤となり、介護福祉士としての役割、特に自身が身を置く「在宅介護」について、深く考えるきっかけを掴みました。

さらに進学し、介護支援専門員、介護教員等の資格も取得。

「やっぱり最期は、家で暮したい」という想いに寄り添える「在宅介護」に対する揺るぎない気持ちが整理されました。

そこから徐々に、自信を取り戻すと同時に、どんどん新しい事にチャレンジ出来るようになってきました。

すると、労働組合の役員話が来て、働き方改革について考えたり、男女共同参画推進のセミナーに参加したり。

話し方の学校との出会いも、この時期です。

今まで送ってきた人生で、時に辛いこともあったけど、それは未来のどこかに繋がっていて、意味があった。

むしろ苦しい事のおかげて、新しい門が開くことに、改めて気づいた時でもありました。

チャレンジすることで、どんどん未来が広がる。

ミセスユニバースにたどり着いた今もその途上で、これからもあらゆる事にチャレンジしていきたいと思えるようになりました。

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

人生100年時代の半分を迎え、介護にせよ、福祉にさよ、子育てにせよ、男女共同参画にせよ、ずいぶん変わってきたと実感。

自分が子育て期に助けてもらった様に、今度は助ける側の年代にもなりました。

特に「在宅介護」では、数えきれない出会いと別れの中で、たくさんのメッセージを受け取りました。

私の周りには、人生について伝えたいことが山ほどある、伝えたい想いを託してくれた方がたくさんいる。

私という存在を通して、その人の想いを発信できるプラットフォームになりたい。

改めて、ミセスユニバースを通して

①「在宅介護」の魅力を発信し、介護福祉業界を盛り上げ、興味を持ってもらうこと

②チャレンジする人を全力で応援すること

③想いを伝えられる世の中にすること

そんな思いを胸に秘め、コンテストにチャレンジしています。

最後に一言

今までの人生を振り返り、立ち止まる自分や、思い通り行かず苦しんだ時がありました。

しかし、その困難のおかげで身に付いたこと、たくさんありました。

そう、人生において経験することは、無駄なことは1つもない。

全てが無限に繋がっていて、未来の自分の糧となる。

苦しい事も、新しい自分に出会えるチャンス。 思い切ってチャレンジ!

川崎恵子さん】インスタグラムはこちら!

川崎恵子さんのインスタグラムはこちら

7/7(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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