皆さまこんにちは。
7/7(金)に行われる、ミセスユニバースジャパン2023ファイナリストの皆様をご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【藤田華子さん】プロフィール
傷あとや打撲あとを慈しむ華
初めまして!
ミセスユニバースジャパン2023ファイナリストの藤田華子です。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
わたしは26歳の時、ミスユニバース静岡大会へ応募しました。
書類審査の中で 『あなたの思う、美しさとはなんですか?』と美しさについての問いに対して
『わたしは容姿にコンプレックスがあります。
ドラマ・漫画・アニメのような媒体を通した美しさのイメージにわたしは左右されてきました。
美しさと自分を比べて、常にわたしは努力しないと。
と努力の対象にしか、わたし自身を見ていませんでした。
あの人の美しさとこの人の美しさは全く違うけれど美しい?と聞かれると、美しい。
と即答できます。 美しいというのは抽象的な表現です。
その人それぞれが ご自身の過去や出来事を受け入れ自分自身を許し個性を活かすことで美しいは具体的な表現に変わるのではないでしょうか わたしは美しいを探すことから美しくなりたいです。
自分の個性をいかす場所に挑戦したいと思い応募しました。』
と送り 何百人もの応募があった中から書類審査を通過しました。
けれども、 一次審査当日に結婚式での香り演出の仕事があり ミスユニバース静岡大会の審査を辞退しました。
ミスユニバースの年齢制限は26歳でしたので、翌年の挑戦はありませんでした。
今でも辞退したことを悔やんではいません。
しかし辞退しても、終わったこととして忘れることができずにいました。
20代の頃、コンプレックスと向き合い 葛藤を抱えた中で、1歩 自分のために努力したい。
と踏み出したわたしのために挑戦したい。
ミセスユニバースの存在を知り、応募しました。
美しくなりたい。願いが私を創る
人生で悩んでいた時期について教えてください
わたしは口唇口蓋裂という状態で生まれてきました。
生まれてすぐの手術では、失敗してしまったようでお顔に残った癒着を修復する手術など通常よりも多く手術しています。
物心ついた時から、お顔はその状態でしたので自分の状態に対してマイナスに感じていませんでした。
病院へ向かった先で出会う先生方や看護師さんの話を聞いていろんな世界があることにわくわくしていました。
学校や習い事でもからかう人や態度で示す人はいましたけど人から言われたことを気にしても言った相手と関わっても自分のためになりませんし。
わたしに顔のことを言われても自分ではどうにもできないので「そうなんだ」と思うくらいですし。
楽しく過ごせる友達がいたので心地よく過ごしていました。
入院している病室の友達と仲良くなり楽しい時間もたくさんありました。
小学4年生のころ、今までの手術とは違う腸骨という骨盤の骨から口腔へ骨髄を自家移植する手術を受けました。
目を閉じる前は笑って走っていた自分が目を開けた時には全身が痛く重くだるく機械やチューブに繋がれており自分の顔が腫れ上がっている姿を鏡でみて 「どうしよう」とショックを受けました。
顔も手も足も「動いて」と思っても全く動かない状態に 自分の体が思うようにならない無力感と 「わたしはもうダメなんだ」 不安や先の見えない寂しさに気持ちが落ち込んでいました。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
術後翌日から経過を見ながら体に繋がっているチューブを抜いていきました。
自分の体と機械をつなげているものがなくなりベッドから起き上がれる期待が膨らみました。
試してみたくなり両足を床の上におき 体重をかけると支えきれず崩れ落ち 「まずいわ」と手で体を支えようとしても支えきれず床に倒れ込みます。
自分で立ち上がれず看護師さんに救われました。
立てなかったショックに、わたしはしばらく泣いていましたが泣いているだけでは1日終わらないほど時間が有り余っていましたので「立てないかもしれない。」 と今度はゆっくり足に体重をかけてじっくり立ち上がり立てた時には胸の辺りに温かさがじわじわ生まれるほど感動しました。
「まだ、きっとできる。」と ベッドの縁を伝いながら、休みながら進み手すりのある廊下へ行き手すりに捕まって歩き自力で歩く練習を行ったり来たりしながら歩いていました。
自力で立てた時には「立てたよ。できたよ」と感動し自力で1歩前に出せた時は「踏み出せたよ」と立って歩ける喜びに自分を取り戻していく安心感と胸の辺りにあたたかさを感じていました。
その日の夕方面会に来る両親を歩いて迎えにいき両親がわたしの姿をみて目を丸くして「歩いてるじゃない」と驚いている表情に 「ふふふ。やったわ」と達成感で胸がいっぱいでした。
努力は自分のためになると実感した体験でした。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
家族・小学校・中学・高校・大学と周りの環境や人間関係に恵まれておりましたがわたしは十分に受けとれていませんでした。
どこかで自分の顔・体に対する劣等感や自分のことを嫌いだと言えないほどわたしがいて、ごめんなさい。
と罪悪感を感じていました。
社会人1年目のころ大学附属の医療施設で働いていました。
施設で規定の期間働くと教員への受験資格があり、働いた先の明確なスキルアップに魅力を感じていました。
通常の仕事に加えて、学生の実習指導もありました。
学生と話す時間はとても楽しく。
国試に向けて悩み、患者さんと接することへ戸惑いながら向き合う学生の姿に、頑張ってねと応援し見守っていました。
仕事に対してわたしは、手間取っても慣れればできるようになる。
一生懸命働いていれば評価してもらえると思っていました。
しかし、年末に院長から呼び出されて 仕事を辞めるように言われました。
「はい」と、即答するよりもわたしに仕事をする覚悟があるのか、試されているのかもしれない。
相手から言われた以上を努力するのがいいと思っていたため 「頑張りたい」と答えたのですがわたしの答えに対して、院長は
・実習に来ている同期よりもわたしが劣っていること
・わたしにコミュニケーション能力がないこと
・ここにいる自分達はわたしを育てる気がないこと
という答えに「わかりました」と伝え 退出するために振り向くとケータイゲームをしつつ、様子をみている先輩の先生がおり、先輩の先生と院長のいる場を後にしました。
その後、退職する3月までの間にわたしが依願退職になるように話が進められていたためハローワークへ相談したりと 社会勉強させていただきました。
働いている間理不尽な言葉も意地悪なこともありました。
「お前はわからないから」と教えてもらえないことも学会へ連れていってくれても、わたしを置いて帰ったことも 「適当にやっといて」と言われた事柄に、『わからなくても、聞けない。』と自分なりに出したことも 「大変だね。」と学生達や先生方が様子を心配してくれても「大丈夫です」と伝えた答えもどうしたらこの結果にならなかったのだろう何を言ったらよかったのだろうどんな態度でいたらよかったのだろうと答えの出ないことを考え自分を責めていました。
誰かのための努力が全て自分のためになることではないとしりました。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
大学の附属施設を退職後は、実家の藤田ほねつぎ院で働き始めました。
努力しても相手の都合で仕事を辞めさせられるかもしれない。
以前の気持ちをひきずっていましたがここで仕事をし自信を取り戻し、回復させていきます。
退職する際に言われた言葉を自分のトラウマにするよりも自分のために生かす。
と決めて
・実習に来ている同期よりもわたしが劣っていること
・わたしにコミュニケーション能力がないこと
・自分達はわたしを育てる気がないことに対して
・同期よりも劣っているなら、まず同期よりも資格を取ろう。
・コミュニケーション能力がないなら、人とコミュニケーションをとる仕事をわたし一人でしよう。
・育てる気がないなら、わたしが自分で育てましょう。
と決めて邁進します。
実家の仕事をしながらわたしのこれからのためになることを選びアロマ・エステ・心理学などの知識を学んでいきます。
それぞれの分野で難しく険しく深められる選択をし続けました。
学びに集まる人と出会いを通して自分と違う感情や乗り越えてきた人生をしりました。
自分で自分を育てることに責任を感じていましたがNLPを学ぶことで 私自身を受け入れ、知り、許していきます。
今までのわたしは小学4年生の時、術後の病室のベッドで自分の顔を鏡で見た時の気持ちのまま自分の傷のことを隠さないといけない。
と思っていました。
「もう大丈夫よ。」と伝え続け傷のあとや打撲のあとのケアをエステで始めると口にします。
傷あと打撲あとケアのためにお客様が来てくださりお客様のお顔やお体にある傷あとや打撲あとの筋肉・関節・他の部分への影響など状況を話しお客様が感じているお顔や体の痛みが どうしたら取れるのかを話し実際にやってみて痛みがなくなった時のお客さまの驚いた表情を見ている時 「大丈夫。あなたはまだ変わりますよ」とわたしはとてもわくわくしています。
今のわたしがあるのはここまで来るために出会った方々がいてその方々を通してわたしが体験してきたことが今に生きています。
わたしの身に過去起こった出来事わたしの持った傷がわたしの全てではなくわたしの部分的な一面です。
わたしの中にある、どうなりたいのか。
のイメージがこれからのわたしをつくっていきます。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
わたしは現在 「藤田ほねつぎ院」にて柔道整復師として、働きながら 「エステサロン フレイア」では、打撲のあと傷あとをケアし 「はなとかなで」では、ソシオエステティシャンとして体のケアを通し自立支援をしています。
ミセスユニバースジャパンはウーマンエンパワーメント。
女性の社会的地位の向上をテーマに行われています。
わたしは女性の社会的地位の向上の中で 女性が体験する社会の中での変化は結婚・出産以外にもあり自分の体や心と共に変化があると思います。
その変化は女性に限らず、男女共に関係があると思います。
一つのところで仕事を始めて、続けて行き地位が安定し周りとの信頼を得ていく。
という生き方もあると思います。
他の生き方もあるのではと、わたしは考えています。
人は人と出会い多くのことを学び体験し、感じ取り、死ぬまで自分の心を育てていきます。
その中で自分の考えに疑問や迷い、可能性を持ち 当初の目標とは全く違う目標を持ったり 言ったことが変わったり今は形にもならない夢を語っても その夢を追いかけてもいいのだと思います。
自分の心がその夢を追いかけたい。
と思うときは自分の感覚が自分の進みたい方向を教えてくれます。
最後に一言
あなたの目の前にある
あなたの体手と足をみてください。
あなたの手は
あなたのお顔を洗い
身支度を整え
あなたの心の中にある、したいことを叶えてくれます。
あなたの足は
あなたが気分を変えたいと思った時に外へ連れ出し
会いたい人のところへあなたを連れて行き
あなたの心の中にある、願いを叶えてくれます。
あなたの体はあなたの心に寄り添い
あなたの願いを叶え
あなたの心を見守っています。
あなたは一人ではありません。
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7/7(金)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
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