MUJ2024

【Mrs. Universe Japan 2024 Finalist】No.45 鈴木有美 YUMI SUZUKI ~たどり着いた答えは、女性の笑顔は世界の笑顔。~

皆さまこんにちは。

7/23(火)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

鈴木有美さん】プロフィール

市と市民をつなぐニュースキャスター

初めまして!
ミセスユニバースジャパン2024ファイナリストの鈴木有美です。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

私はもともと何かをするのが好きで、じっとしていられない性格です。

社会活動にも興味があり、幼い頃の体験からミセスユニバースジャパンの目指す「女性の社会的地位の向上」に感銘を受けました。

自分の考えを社会に発信していきたいと思っていますが、私にはそれだけの実績がありません。

そんな私を信頼してもらう方法は無いだろうか、と考えていたところミセスユニバースを知り、努力してグランプリになれば私が口だけの人間でないと納得していただけると思い参加しました。

たどり着いた答えは、女性の笑顔は世界の笑顔。

人生で悩んでいた時期について教えてください

私は政治関係者だった祖父のもとで、対立派の先生達やその子供達にいじめられながら育ちました。

祖父は表では人格者でしたが、家の中では酔って家族にひどく暴力をふるいました。

特に祖母への虐待はひどいものでした。

私が祖母に「なぜ離婚しないのか」とたずねた時、祖母は泣きながら自分には帰る実家が無いと教えてくれました。

祖母には逃げる場所が無かったのです。

それでも家族で隠し続けた祖父の暴力も、祖母が頭を割られて救急車を呼ぶ騒ぎがあって知られるようになりました。

祖父が脳梗塞で動けなくなると家族に平穏が訪れましたが、すでに私はストレスによるメニエール病を発症し、学校に行ける状態ではありませんでした。

故郷が嫌になり高校に行かず、親戚を頼ってアメリカに渡りました。

陰湿ないじめや暴力があるのは日本だけで、海外にはそんなものはないような気がしていたのです。

ところが私の行った先は、アジア人を見たら子供が石を投げてきたり、買い物をしていたら後ろから髪を引っ張られたり、アフリカ系の女の子が「いい服を着ていて生意気だ」と男性の集団に鼻血が出るほど殴られているような所でした。

初めて銃声を聞いたのもその町でした。

奥さんを虐待していたご主人が、ついに銃を持ち出してきたのです。

アメリカの現実に呆然としている私に親戚が言った一言は「日本のいじめや暴力なんて大した事ない。強くなったら日本に帰れ」でした。

逃げてきた自分がどれだけ甘かったことか。

今考えれば当然なことで、女性や子供が苦しめられるのは日本だけではないのでした。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

日本に帰って、なんとかこの国で人生をやり直そうと思いました。

その時の私はまわりに「高校に行ってない不良」としか思われてなかったのです。

予備校に入り、高卒資格の認定試験を受け、中学生の学力しか無かったのに2年かけて国立大学に入りました。

大学では、友達の作り方も身だしなみの整え方も知らない私は常に変わり者扱いで友達もいませんでした。

でもただひたすら好きなことをしたい、何を言われても構わないと思い、興味のある遺跡や歴史的建造物を見るために17カ国横断しました。

バックパックを背負い夜行列車をホテル代わりにする旅でした。ですが行く先々で素晴らしい建造物を見て、人間が美しいものを作る時の執念や情熱。

そのための技術や努力などを感じて全く苦になりませんでした。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

社会人になって結婚しすぐに2人の娘に恵まれましたが、持病があったこと、実家に頼れないことなどが災いし子育ては大変でした。

ストレスで鬱とパニック障害も発症し、泣き止まない子供を抱えて窓から飛び降りようと思うほど追い詰められました。

祖父のように子供に手を上げだすのではと恐怖を感じ、叫びたいのをこらえて1人で呻いていました。

職場の上司と話す機会もありましたが「3食昼寝付きて何が辛いの。こっちは8時間労働だよ」という答えが帰ってきました。

育児は24時間労働だと言いたかったのですが、独身男性にわかってもらうのは無理だろうと思い沈黙しました。

そんな私を助けてくれたのは行政でした。

保健師訪問をはじめとして、一時保育、訪問看護、ホームヘルパー、医療費の補助。

私は市に命を救われたのです。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

医師の「労働はしばらくは不可能」という診断を受け、私は専業主婦になりました。

ですが鬱のリハビリと、少しでも市に恩返しがしたいという思いから私は市のボランティア活動に積極的に参加しました。

クリーン運動から、国際交流イベントの応援、ケーブルテレビで行政の情報を伝えるニュースキャスターは13年続けています。

去年の秋は初めて参加した市民ミュージカルで主役を努めました。

日本初の障がい者施設の人たちも役者として参加する舞台で、共生社会の一つのモデルケースと感じるものでした。

私は障害者施設の移転反対派のリーダーでありながら、自分の子供に障害があることを認められずにいる母親の役でした。

脚本の設定では2人の娘がいることが同じだったため、自分が子育てしていたころを思い出しながら大切に役を演じました。

舞台は満員御礼で成功し、今までで一番良い舞台だったとお褒めをいただきました。

みんなでいい舞台にしようと練習してきたので、市民役者全員で涙を流したのはいい思い出です。

また子育てに苦労した経験から少しでも他のお母さんの役に立ちたいと、児童発達支援士と発達障害コミュニケーションサポーターの資格も取り、多少の専門知識からアドバイスさせていただくこともあります。

また、体重が70キロもあり、胆石が100個も貯まった体でしたが、10キロ以上の減量に成功し健康になりました。

一昨年からは市の「男女共同参画会議」の議員も努め「女性が輝く社会」を目指す市のお手伝いをさせていただいています。

 

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

ミセスユニバースジャパンの目指す「女性の社会的地位の向上」と私の住む街の目指す「女性の輝く社会」は女性だけでなく、周りの人達も幸せにするものだと思います。

お母さんが笑顔になれば家族も笑顔になります。

そのためにまずするべきことは、女性の負担を減らすことだと考えています。

女性は仕事の他に育児や介護もあり、ご主人のサポートを受けても大変です。

家族だけでなく一つのコミュニテイで支え合うことを考えてみてもいいのではないでしょうか。

オレンジリボン運動などでは地域の連帯を拡げることで子供を守ろうとしています。

あなたの隣りにいる人は笑顔ですか。少しだけ目と目を合わせてみてください。

最後に一言

「メラビアンの法則」というものがあります。

人は情報収集において、半分以上を視覚に頼っていること。

そのため人は最初の3秒で他人からの印象が決まってしまうというものです。

だからこそ普段から身だしなみに気をつけ、背筋を伸ばし笑顔で素敵でいて下さい。

ただ最近の研究で、この固定された印象はいつでも変わると証明されたそうです。

だから最初でつまづいてもぜんぜん大丈夫。

いつでも挽回できます。

私も若い頃は失敗続きでしたが、この年齢になって少しずつ自分が変わってきたと感じています。

いつでもあなたは変われます。一歩を踏み出して下さい。

鈴木有美さん】インスタグラムはこちら!

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7/23(火)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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