皆さまこんにちは。
7/23(火)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【坂下浩子さん】プロフィール
「今」この瞬間を感じる先駆者
初めまして!
ミセスユニバースジャパン2024ファイナリストの坂下浩子です。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
「真に美しい人は人に与えられる人」という理念に共感し、私もそうありたいと思い応募しました。
「今」を感じるために必要なことが、自分にとっては挑戦であると信じ、「今」の自分に挑戦したいと思ったことも動機です。
そして、まだ自分自身も知らない「今」の自分の可能性を見つけたい、成長の先には進化があることを実感したいと思いました。
「今」の積み重ねで輝くわたし
人生で悩んでいた時期について教えてください
日本の地方の高校を卒業し、英会話力がままならないままアメリカの大学に留学をした時でした。
メディアが学びたくて進学をしたのですが、初めてのアメリカの夜は怖くて一人で泣きました。
授業の聞き取りも難しく、授業についていくことに必死でした。日系人の多いカリフォルニア。
私と同じ日本人の顔をしていても、日系アメリカ人でネイティヴの英語を話す学生もたくさんいた大学。
外国人でありながらも、英語がうまく話せないことを不思議に思うアメリカ人の方も多くいたようでした。
ある日のこと、英語ができないことで私をからかったアメリカ人の学生がいたときに、先生が「Hirokoはバカなんじゃない、英語がうまく話せないだけ。あなたが日本に行ったら日本語が話せるの?」と言ってくれたことがありました。
毎回、プレゼンテーションとディスカッションが多いアメリカの大学の授業。
恥をかくことばかりでした。
でも、いつか見返してやりたい、アメリカ人の学生たちと仲良くなりたいと、物怖じせずに積極的にコミュニケーションを図りました。
そうしていたら、一緒に話しをしながら私の英語を直してくれるアメリカ人の友人もできました。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
そんな中、メディアの学部の友人もどんどん増え英語力も徐々に伸びていきました。
4年生の時はインターンの一環で、町のラジオ局のDJに挑戦しました。
そのラジオ局で日本人は私一人でした。
夜の6時から9時という3時間のゴールデンタイムの番組を毎週任されました。
そのラジオ局ではただトークをすればいいだけではなく、ディレクターもいなくて選曲して曲をかけ、CM出しをし、リクエストの電話をとるということを一人で全部こなさなくてはなりませんでした。
いわば一人ラジオ番組。
最初の放送では怖くて、リクエストの電話を取る手が震えたことを憶えています。
しかし、回を重ねるごとに私の番組にアメリカ人のファンの方々がついてくれるようになり、リクエストの電話もたくさんかかってくるようになりました。
大学卒業前の最後の放送では、アイスクリーム屋さんでアルバイトをしながら皆んなで番組を聴いてくれて、リクエストの電話をよくかけてきてくれたアメリカ人の高校生の女の子の一人から、“You’re the best DJ, I’ve ever known!”(あなたは最高のDJよ!)と電話で言われて泣きました。
私の一生懸命さは国境を超え世界を超える、人の心は通じ合えると、「今」この瞬間を生きていることを実感しました。
「泣いて始まり、泣いて終わる」、そんなアメリカの大学生活でした。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
日本に帰国後、ラジオ局で働きました。
アメリカのラジオ局で経験した制作の仕事がやりたくても、当時の日本のラジオ業界では、まずは制作会社で雑巾がけから始めるのが普通だと言われ、管理職の方々のアシスタントの事務職をしていました。
それでもどうにか制作の仕事がしたくて、休日に制作の方のイベントの手伝いをさせていただいたり認めてもらう努力もしました。
そんな中、ラジオ局に出入りするレコード会社の方々と親しくなり、レコード業界に興味を持ち転職しました。
CDの制作ディレクター(A&R)を目指しましたが、まずは宣伝プロモーターとしてメディアに足を運びメディア露出に頑張る日々でした。
紙袋を二重にして何十枚ものCDやDJ用のレコードや資料などを常に持ち歩き、夜中のラジオ局や早朝のテレビ局に行って配ったり、何時間も番組関係者の方々の出待ちをしたり、音楽とは関係のないDVDの宣伝をしたり。
この時を振り返ってみると、思うようにいかないこともあったけれど、辛いというよりは根を張ろう、少しでも楽しみを見つけようと日々ワクワク見つけをしました。
人見知りをしない性格も伴って、他社のレコード会社の方々やイベンターの方々、雑誌の編集者やカメラマンやスタイリストやヘアメイクの方々などと楽しく懇親会をやっていたりしました。
「今」を楽しむ努力をしていました。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
念願のレコード会社の制作ディレクター(A&R)やプロデューサーになれました。
時代はCDよりも配信の時代となり、CDと配信用のアルバムの両方を手掛けました。
ある日、国民的人気のテレビ番組の制作の方から、「CD店で私が企画したCDを見つけて番組で使いたいから使っていいか」と問い合わせをいただいたりしました。
インターネットサイトのCDレビューでは、私の企画したCDに「こんなCDを待っていました」と書いてくださる方もいて、嬉しいことがありました。
配信アルバムでも、人気作を生み出すことができました。
私が企画した作品が、誰かの日々の生活を潤しているということに喜びでいっぱいでした。
そして、最も嬉しかったことは、音楽好きの父が私の企画したCDを大事に繰り返し繰り返し聴いてくれたことでした。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
現在は守秘義務がある行政の仕事に就いているので仕事の内容については語れませんが、英語でのコミュニケーションは続けています。
ミセスユニバースジャパンを通じて、ボランティアで社会貢献について学び尽力し、ビューティーキャンプで「今」の自分を磨いていきたいと思います。
そしてミセスユニバースジャパンを通じて、自分に自信がなくなっていた私でも輝こうとする勇気を持てたこと、「今」の自分を懸命に輝かせて「今」の自分を大事にすることの大切さを伝えたいと思います。
いつだって、「今」が一番大切なのだから。
最後に一言
「今」の自分を信じることが大切だと思います。
アメリカの大学時代に英語がネイティヴでもないのに、「やらせて欲しい」とアメリカのラジオ局に一人で乗り込んだこと、ミセスユニバースジャパンに挑戦していること、自分でも思いがけないチャンスをいただきました。
私も人生に悩む一人の女性です。
やりたいと思うことがあれば、自分の可能性を信じ挑戦してみる勇気を持っていただきたいな、と思います。
【坂下浩子さん】インスタグラムはこちら!
坂下浩子さんのインスタグラムはこちら!
7/23(火)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
こちらの記事も合わせてご覧ください♡
▶🌸【自意識過剰だと思っていませんか?】ミセスコンテストに挑戦するべき5つの理由|BellissimaStyle ベリッシマスタイル
▶【ミスコンで学んだ3つのこと】ミスコン世界大会で得た最も重要な3つの学び|BellissimaStyle ベリッシマスタイル
コンテストや撮影プラン、プロデュースプランなどの
個人向けのサービスはこちらで詳しくご紹介しております。
最新情報は随時LINE@で発信しています。
質問も受け付けてございますので、お気軽にご連絡ください。