MUJ2025

【Mrs. Universe Japan 2025 Finalist】No.33 福嶋直子 NAOKO FUKUSHIMA ~わたしをあきらめない~

皆さまこんにちは。

7/15(火)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。

ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡

こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!

【福嶋直子さん】プロフィール

脳梗塞から健康美を目指す元CA

初めまして!
ミセスユニバースジャパン2025ファイナリストの福嶋直子です。

ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ

最初のきっかけは2022年10月、脳梗塞で入院中にたまたま目に留まった「ミセスユニバース募集」のInstagram広告でした。

ふとその時、25歳の頃に「ミスユニバースに応募してみないか」と声をかけられたことを思い出したのです。美人コンテストだと思っていた私は、自分には無関係だと挑戦することはありませんでした。

人は人生が終わる時「本当にやりたいことをやらなかった」ことを後悔するそうです。(ベストセラー「夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神」より)

もし、脳梗塞で命を落としていたとしたら…
入院中のベッドで涙があふれ出しました。

「いつか私もこんなふうに颯爽とランウェイを歩いてみたい」

「いつもぐったりした姿で心配ばかりかけてきた家族に、笑顔で元気になった姿を見せたい」

無謀かもしれないけれど「失敗も含め挑戦することの大切さを子ども達に伝えたい」

そのためにも、絶対に元気になる!と目標ができたことで、これからどうなってしまうのかという漠然とした不安は消え、前向きにリハビリに取り組みました。

2023年5月、心臓の手術
バランスボールインストラクター6年目だった私は、自分の身体を実験台に約半年かけて体力を取り戻していきました。

しかし、喉元過ぎればなんとやら…
今回の募集を知った時、「まだ体調は万全とは言えないし」「怪我で運動も禁止されているし」…とできない理由を並べ、入院中に誓った「いつか」はもっと先のことだと思っていました。

そんな折に届いた、親しい友人の訃報。私の脳梗塞を心配して、退院後いちばんに自宅に会いに来てくれた大切な友人でした。

彼女が生きたかった明日を
今日の私は生きている

「いつか」ではなく「いま」を生きろと言われている気がしました。生かされた命を、最大限に燃やし尽くすと決めました。

ミセスユニバースジャパンの「あなたにしかできない挑戦があなたも私も幸せにする」という一文に、これまでの感謝を伝えたい方々がたくさん浮かんできました。私が挑戦することで、誰かの希望の光になれたらと思い応募しました。

わたしをあきらめない

人生で悩んでいた時期について教えてください

CA(客室乗務員)を夢見る受験生だった時期です。新卒は全滅で、短大とエアラインスクールを20歳で卒業。そこから約5年半に渡る暗黒の受験生時代がスタートしました。

地方でのひとり暮らし。とにかく生活が苦しかったです。両親は私に、地元での就職、結婚を望んでいたため、もともと進学の時点で大反対。働きながら既卒受験を続けるなんて、口が裂けても言えませんでした。

受験地である東京や大阪までの旅費を稼ぐため、残業や欠員補充のための休日出勤を申し出たり、単発のアルバイトをしたり、いつ寝て何を食べて生活していたのかあまり覚えていないくらいです。採用時期が重なったり、2次、3次と試験が進むにつれ、月に2〜3回東京を往復することもありました。

辛くなるので途中から数えるのをやめましたが、のべ何十社もの不合格通知を受け取るうちに、自分が価値のない人間のように思えてきて精神的に辛かったです。

当時は、空港のインフォメーションカウンターで働いていたので、先に夢を叶えた友人達がフライトを終えて到着ロビーから出てくるのを出迎える笑顔の裏で、羨ましい気持ち半分、いつか私も絶対あちら側に行くんだ!と気持ちを奮い立たせていました。

苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?

ずいぶん遠回りしたおかげで、思ってもいなかった経験ができたり、普段出会えないような方々と過ごしたりするうちに、視野が広がり人生が豊かになったと感じています。

CAに合格する前の私は、ツアコン、レポーター、インフォメーション、イベントMC、選挙のウグイス嬢、コンパニオンなど様々な職種を経験をしました。どれも非正規雇用でしたが、手を抜くことなくできる限りの力を尽くした結果、別の現場に推薦していただけたり、正社員での雇用を打診されたりと、自分の仕事を評価されたという自信がCA受験のモチベーションにもなっていました。

また、レポーターを2年務めた後、再びCAを目指す覚悟があるのか気持ちが揺らいだ時期に、ハワイへ3ヶ月間自分探しの旅に出ました。その時に感じた「次は絶対CAとしてフライトでハワイに戻って来たい」という強い思いも、心の支えでした。

25歳を迎えた頃「次の誕生日までに合格できなければCAの夢を諦める」と、自分との約束をしました。最後の望みをかけ、母校のエアラインスクールの夜間コースに入学。学費を支払う余裕もなく、シフト勤務で固定の曜日の授業に出られない私に、先生から前例のない有り難いご提案をいただきました。

月に数千円の分割払い、出られる授業だけ回数制で受け入れてくださったのです。

なんとしても合格して恩返しをしたい!

3ヶ月後、25歳8ヶ月で念願のCAに合格。
本当に感謝してもしきれません。

それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?

初フライトから20年、昨年4月に退職するまでに、3社でCAを経験しました。1度目こそ家庭の事情での転職でしたが、2社目、3社目は健康を損ねての退職でした。

ちょうど経営者が代わり過渡期にあった時期に入社した2社目。大変な中にもやり甲斐を持って働いていましたが、次第に会社の方針について行けなくなったCAがひとり、またひとりと退職。14人いた同期がついに私ひとりだけに。それでも、やっとの思いで手に入れたCA職を簡単には手放せず、好きで選んだ仕事だからと自分に言い聞かせ、辞める選択肢はありませんでした。

ところがある日を境に、上空でドリンクカートを押せない程ふらふらするようになり、後頭部と顎の痺れ、目の奥を刺すような痛みが現れ乗務停止に。診断結果は、重度の貧血とパニック障害でした。

そのことを報告した際の支店長の心無い言葉に、心身を壊してまでしがみつく会社ではないと判断し、その場で退職を申し出ました。仕事のストレスがなくなると、みるみる体調が回復。4ヶ月後には次の会社に入社していました。

3社目は念願の国際線。多い時には週に1度、ホノルルステイを満喫していました。「フライトでハワイに戻って来たい」と願ってからちょうど10年後のことでした。

ところが、2人目の育休から復帰する時期にコロナ禍でフライトが激減。そこからさらに3年間の休職延長となりました。その間に脳梗塞を発症。原因と思われる心臓の手術も行いました。最終的には、右手に残った軽度の後遺症がネックとなり、保安要員としての責務を果たせないと判断し退職を決めました。

辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!

脳梗塞、心臓の手術を乗り越え、今こうやって新たな目標に向かって挑戦できていることです。実は、脳梗塞の2年ほど前から体調不良に悩まされていたため、術後も含めると3年以上、家事や育児などの日常生活もままならない状態でした。

そんな私が、CA復帰の目標を掲げ体力づくりに取り入れたのが、バランスボールエクササイズでした。7年前、長男の育休中にインストラクター資格を取得。産後の心と体が驚くほど変化した経験と、解剖学、脳科学、運動生理学、心理学などに基づいたメソッドで、絶対に生まれ変われる!という自信はありました。

1人より仲間がいた方が頑張れると思い、SNSでメンバーを募集。7人の仲間と共に3ヶ月のリハビリプログラムをスタート。初めは、ボールに座って手足を動かすだけのチェアエクササイズのような状態から、少しずつボールの弾みで体を揺らし息を上げていき、3ヶ月経つ頃には、ノリノリの音楽に合わせて弾みながらダンスを踊れるまで元気に!ほとんど運動習慣がなかった7人のメンバー全員に体力向上、姿勢改善が見られたことも大きな喜びでした。

CAの仕事はあと1歩のところで手放しましたが、体力的には担当医から国際線乗務の許可が下りるまでに回復することができました。右手の麻痺は、リハビリの甲斐あって日常生活にはほとんど支障はありません。ただ、航空機乗務という特性上、常に100%の状態でなければならないのです。上司からは、リハビリを続けて100%を目指すことも勧められましたが「どうしても復帰したい理由」というのを考えた時、CAとして仕事でやり残したことは何もないと気づきました。

国内線、国際線ともに客室責任者であるチーフパーサーを務め、夢だったホノルル便には100回以上乗務し、国民的アイドルグループのメンバーに旅のご提案をするという番組企画にも出演するなど、十分すぎるほどの経験をさせていただきました。我がCA人生に悔いなし!

私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと

現在は、バランスボールインストラクターとして、幅広い世代の方へ健康づくりのお手伝いをしています。また、産後指導士として、出産を経験した女性の産後ケアにも力を入れています。もともとリハビリの道具だったバランスボール。座って軽く弾むだけで手軽に有酸素運動ができるので、運動が苦手な方や産後、病後の体力づくりにもオススメです。

その他、昨年からは女子プロサッカー「WEリーグ」チームの新聞記事も書いています。サッカーに携わることは、CAを目指す前からの夢でした。中学生だった当時は、女性ができる仕事はないと担任の先生に言われ方向転換。あれから30年以上経った今、女子プロサッカー選手という職業ができ(2021年)、監督や審判、テレビ解説者としても女性が活躍しています。WEリーグのWEは、Woman Empowermentの略。スポーツを通して女性が活躍できる社会へと繋がるような活動も視野に入れています。

これから、ミセスユニバースジャパンの活動を通して、私自身が影響力のある人間に成長し、「健康の大切さ」を社会に広く伝えていきたいです。健康な心と体さえあれば、いつからでも、何だって挑戦できます。

周りでよく、健康診断では異常がないのに「なんとなくだるい」「やる気が出ない」「もう歳だから仕方がない」などの声を耳にします。そんな時は、まずは騙されたと思って1日20分だけでも軽く息が上がる運動を取り入れてみてください。細胞の中にあるミトコンドリアが活性化され、体を動かすエネルギーをどんどん作り出してくれますよ。大丈夫です!ほぼ寝たきりだった私が言うのですから!

最後に一言

「置かれた場所で咲きなさい」
Bloom where God has planted you.

皆さんは、この言葉をどう捉えますか?
以前、仕事で行き詰まっていた時に、信頼する上司が貸してくださった本のタイトルです。「咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう」という著者の渡辺和子さん(ノートルダム清心学園理事長)のメッセージ。確かに、咲くタイミングや色や大きさはそれぞれ違うのだから、今できる精一杯の努力をしよう!と立ち直れたのを覚えています。

そして、今の私は「置かれた場所で咲くたんぽぽ」でいたいと思っています。合わない環境で心が折れるまで頑張る必要はなく、時には風の吹くまま流されてみると、そこに新しい世界が広がっているかもしれません。あるいは、置かれた環境で努力しながらも、本来の夢や希望を捨てず口に出していると、それを聞いた誰かがたんぽぽの綿毛のように種を運んでくれて、後に思わぬところで花開くことだってあります。

女性は特に、結婚や出産などのライフステージによって、身を置く環境を自分で決めることが難しいと感じます。また、キャリアを優先して結婚を選ばない女性が増えているのも事実。社会全体の問題ではありますが、まずは、女性自身が「こうでなければ」という思い込みを捨てることから始まるのかもしれません。

女だから、妻だから、母親だからと諦めていることはありませんか?

大事なのは「わたし」がどうしたいのか。希望を叶えるためには、パートナーや家族など周りとのコミュニケーションも必要になってきます。そのためにも、気力体力は欠かせません。心と体を整え、たんぽぽのように自由に軽やかに、心がワクワクする方へ進んでみませんか?

【福嶋直子さん】インスタグラムはこちら!

福嶋直子さんのインスタグラムはこちら!

7/15(火)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。

ぜひ皆さまも応援お願いいたします!

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