皆さまこんにちは。
7/15(火)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【外岡瑞紀さん】プロフィール
共に未来を拓くChange Maker
初めまして!
ミセスユニバースジャパン2025ファイナリストの外岡瑞紀です。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
私は約20年間にわたり国際協力に携わっており、⻘年海外協力隊としてパナマ共和国に赴任したことを契機に、日本国際協力機構(JICA)や国連関連機関を経て、現在は環境保全の国際NGOでファンドレイジング部門を統括しています。
娘が9ヶ月の時、仕事で訪れたスーダン共和国の難民キャンプで、同じく9ヶ月の赤ちゃんを抱いた若い母親と出会いました。紛争から逃れてきたばかりのその赤ちゃんは、生まれたばかりのように小さく、信じられないほどの軽さでした。「10日間何も食べていないから母乳も出ない。日に日に痩せていく子どもの姿を見るのが一番つらかった」と母親は涙ながらに語ってくれました。当時、私も娘の母乳の飲みが悪くて悩んでいたからこそ、その痛みが自分のことのように感じられたのです。生まれた国が異なるだけで、こんなにも命の重さを支える環境が違う。この理不尽さに胸を突き動かされ、「すべての子どもが希望を持ち、笑顔で生きられる未来をつくりたい」という志を抱き、今も人道支援や環境保全に携わっています。
私の専門である「ファンドレイザー」という職業は、日本では「寄付を集める人」と狭義に捉えられがちですが、海外では“Change Maker(チェンジメーカー)”と言われています。ファンドレイザーは様々な社会課題を広く伝え、支援の輪を広げ、多くのステークホルダーと共に社会に変化を生み出す役割を担うからです。現代の社会課題はますます複雑化・深刻化しています。気候変動ももはや未来の話ではなく、猛暑や豪雨などの異常気象として私たちの日常生活に影響を及ぼしています。こうした課題に立ち向かうには、政府や国際機関、NGOなどだけでなく、一人ひとりの力が必要です。
私はミセスユニバースジャパンへの挑戦を通じて、自分自身を成長させ、社会課題に取り組む重要性を広く伝えられる影響力を少しでも身につけたいと考えています。より良い社会を築くために、多くの人々と力を合わせて行動していきたい——その強い想いこそが、今回の新たな挑戦を決意する原動力となりました。
すべての子どもたちに希望を。共に創りたい未来
人生で悩んでいた時期について教えてください
大学時代は部活でフラメンコに没頭し、卒業後はダンサーになる夢を抱いていましたが、両親の反対もあり断念しました。その代わり、自分の「好き」に囲まれていたくて、ファッション・化粧品業界に進みました。仕事はとても楽しく、やりがいもありました。複数のブランドを渡り歩き、世界最大のラグジュアリーグループで働くまでにキャリアアップしましたが、心のどこかにいつもぽっかりと穴が開いているような感覚がありました。目の前の仕事は楽しいのに、昇進していく未来がなぜかしっくりこない——その違和感と焦りに長く悩まされていました。
空虚さを埋めるかのように、週末は自己投資と称して様々な勉強や習い事を掛け持ちし、常に忙しくしていた時期もありました。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
転機が訪れたのは、大学教授であった父が国連大使に任命されたときのことでした。赴任先であるニューヨークの国連本部を初めて訪れ、国際社会が直面する課題と真剣に向き合う現場の空気に触れ、「社会貢献を仕事にしたい!」という想いが胸の奥から沸き上がってきまし
た。思い返せば、社会貢献は幼少期から常に当たり前に存在していました。アメリカで過ごした小学生時代は、障がい者施設でのボランティアやチャリティバザーが学校行事の一部であり、カトリックの中学高校では、里親支援や募金活動などに参加する機会が開かれていました。
その後、国際協力の分野で広報のスキルを活かせる仕事を探し、JICAが派遣する⻘年海外協力隊の募集案件を見つけ、パナマ共和国への派遣が決まりました。ラグジュアリーブランドでのキャリアから途上国支援への転身は、周囲には意外に映ったようで、日頃お世話になっていた編集者の方々を通じて、複数の女性誌から取材を受けました。しかし、ファッションや化粧品も社会貢献も私の生活の一部であり、どちらも自然な延長線上の選択でした。当時のインタビューでは常に「社会貢献が当たり前の日本にしたい」と語っていましたが、今もその想いが私の活動の根幹を成している気がします。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
パナマでの任務は、地方都市の保健局での献血に関する広報・プロモーション活動でした。しかし、当時のパナマでは献血という概念が殆ど浸透しておらず、安全な血液を確保することが困難で、感染症の問題も深刻でした。にもかかわらず、医療関係者すら関心が低く、オフィスには献血に関する情報すらない状況。特に辛かったのは、献血プロモーションの重要性を理解している人が職場に一人もいなかったことです。「私はなぜここに派遣されたのか?」と、自問自答する時期もありました。
しかし、悩んでいるだけでは何も変わらない。「悩んだら、動く!」と心に決め、まずは自分の業務に関係なく、同僚の様々な業務を手伝うことから始めました。学校でのHIV教育の合間にベリーダンスを披露したり、健康プロモーションイベントでヨガを教えたりする中で、少しずつ周囲の人たちが私の業務にも興味を持ち始めてくれました。その結果、人脈を辿って献血に関する情報を得ることができ、献血プロモーションを行う機会も提供してもらえるようになり、ようやく活動が軌道に乗り始めたのです。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
着任からわずか3ヶ月で「世界献血デー」を迎えることになりました。スペイン語もまだ拙く、右も左も分からない状態でしたが、広報の経験を活かせるチャンスと捉え、市内で初となる献血イベントとパレードを企画しました。県知事や市長、教会、学校、メディアへの協力依頼から、ポスターの掲示、ラジオ出演、小学校でのポスターコンクールの開催まで、1ヶ月という限られた期間で準備を進めました。最初は一人で飛び込み営業から始めましたが、最終的には多くの人が手を差し伸べてくれました。ホームステイ先の家族は人脈をつないでくれ、友人は翻訳を手伝ってくれました。職場の同僚たちは営業にも同行してくれ、荷物の運搬も快く引き受けてくれました。イベント当日は職場総出で設営から運営まで全面的にサポートしてくれ、おかげでイベントは大盛況のうちに幕を閉じました。
思いがけないことに、このイベントをきっかけとして、私の活動の場は市から県へ、そして任期2年目には首都の保健省に異動し、パナマ全土の献血プロモーションを担当することになりました。首都では、献血に関わるさまざまな機関や団体と出会うことができたため、まずはすべての関係者をつなぐ会議体の立ち上げから始めました。そして2年目の「世界献血デー」には、そのすべてのステークホルダーと共に、全国規模の献血キャンペーンを実施。大統領夫人やパナマ市庁舎、企業、大学、アーティスト、メディアなど多方面から協力を得て、全国に向けて献血の重要性を発信することができました。そして何より嬉しいのは、私の帰国後も、現地の人々が活動を継続し、さらに発展させていることです。
医療関係者でもない、外国人の私ひとりでは到底成し得なかったことも、多くの人々がそれぞれの強みを持ち寄り、力を合わせたからこそ、社会に確かな変化をもたらすことができました。社会を変えるには勇気を持って一歩踏み出してみること、そして一人ではなく「共に」動くことが不可欠なのだと、異国の地で身をもって実感しました。この経験は、今の私の行動指針となっています。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
“We do not inherit the Earth from our ancestors. We borrow it from our children(地球は先祖から受け継いだものではなく、子どもたちから借りたものだ)”——この言葉を胸に、現在は環境保全を担う国際NGOのファンドレイザーとして、一人でも多くの人が「自分にもできることがある」と感じられるきっかけを届けることに力を注いでいます。加えて、副業ではコーチングを通じて、個々の可能性を引き出すサポートも行って
います。
講演の場などでよくいただく質問のひとつが、「私に何ができるのでしょうか?」という問いです。だからこそ、私はミセスユニバースジャパンの舞台に挑戦することで広く伝えたいのです——社会貢献は特別な人だけがするものではなく、誰もが自分らしいやり方で関われるのだということを。私たち一人ひとりの日々の小さな選択や行動が、未来の世代にどれほど大きな影響を与えるかを、私は実感しています。だからこそ、「自分にできること」から一歩を踏み出すことが、やがて大きな力になると思っています。「私に何ができるのだろう」と悩んでいる方には、「あなただからこそできることが、きっとある」と背中を押したいのです。
誰もが自分だけのユニークな役割を担い、社会貢献が当たり前の日本になれば、私たちの娘世代が笑顔で過ごせる、希望に満ちた未来を一緒に創っていけると、私は信じています。
最後に一言
自分の強みや価値は、日常の中ではなかなか見えにくいものです。ときには、自信を失って立ち止まってしまうこともあるでしょう。
でも——誰かのために、ほんの少しでも「GIVE」してみたとき、ふと、自分の中に眠っていた力に気づく瞬間があります。心の奥で止まっていた歯車が、静かに、でも確かに動き始めるのです。これは、私がパナマの国際協力の現場で、身をもって学んだことのひとつです。
だからこそ、自信が持てないときこそ、一緒に小さな一歩を踏み出してみませんか?たとえ小さく見える行動でも、それが誰かの世界を変えることだってあるのです。私自身、そんな一歩に何度も背中を押され、前へ進む力をもらってきました。あなたの中にある“ユニークさ”は、きっと誰かの希望になります。
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7/15(火)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
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