皆さまこんにちは。
7/15(火)に行われる、ミセスユニバース日本大会ファイナリストの皆さまをご紹介しています。
ミセスユニバースはWomen Empowerment =女性の社会進出をテーマに行われている大会です♡
こちらの記事では、数多くの応募者の中から、ファイナリストになられた皆様について紹介いたします!
【尾辻加奈子さん】プロフィール
世界中を元気にするワンダーウーマン
初めまして!
ミセスユニバースジャパン2025ファイナリストの尾辻加奈子です。
ミセスユニバースに応募しようと思ったきっかけ
理由は2点あります。
1点目は今年50歳になるので、メークや礼儀作法を学びたかったからです。現在職場がカジュアルな環境であり、服装はジーンズとスニーカーなんです。休日は海にいることが多いため、メークは日焼け止めのみ。ファッションはウエットスーツにビーチサンダルが定番(笑)。自然体でも内面も外見も美しい女性になりたいと思い、チャレンジしました。
2点目はこのコンテストが女性のエンパワメントに注力しているからです。私は仕事を通じて女性のキャリア構築の支援を行っています。この大会に出場することで、より多くの女性と共創し、女性の活躍支援ができると思い、応募を決めました。
元気に笑って自分らしく生きよう
人生で悩んでいた時期について教えてください
私が最も悩んでいたのは、大学を卒業して進路を考える時期のことでした。私は幼少期から、父と母の口論を聞き、母が父から暴力を振るわれる姿を見ながら育ちました。小学生の頃、父に襲われそうな母を助けようと2人の間に入った時、私は父に壁に投げ飛ばされ、首を絞められました。このままでは殺されると直感で本当に怖かった。でも、小さな自分では何もコントロールできず、家に帰るのが毎日恐怖でした。幸いにも両親は離婚し、兄と私は母に引き取られ、祖母の家に身を寄せました。離婚により、母に大きな経済的負担がかかるため、私はアルバイトをしながら家計を支え、同時に一生懸命勉強しました。とにかく早く自立して母を安心させたかったのです。そのため、奨学金をもらい大学に進学し、氷河期でも努力して就職先を見つけました。
しかし社会人になった時、自分の本当にやりたいことを見失っていたことに気が付きました。母を心配させないことが私の人生の最優先事項となり、自分の夢や希望を考えないようにしていたのです。この頃は仕事の後にダンスを習ったり、俳優養成所に通ったり、自己啓発本を読んで自分探しをしました。
そしてようやく見つけたのが、ハリウッドで役者になるという夢でした。大学時代に英語劇で演じる経験をいただき、その先生から「あなたには才能がある」と言われたのがきっかけでした。
英語の勉強をしながら外貨預金をして資金をつくり、社会人4年目にして会社を退職、いざハリウッドへ留学しました。
苦しい思いをしながらも希望の光はありましたか?
アメリカでは大好きな演劇にのめりこみましたが、母国語ではない言語で演技をすることは想像を絶するほど困難でした。今よりもアジア人の役が少ない時代だったため、セリフの無いエキストラ役や芸者役、着ぐるみを着て忍者役などをこなしました。昼は日系企業でフルタイムで働き、夜は演劇学校の授業に必死についていき、週末はオーディションを受けまくるという毎日が続きました。
そんな中、渡米4年目にして「アンネの日記」の舞台の脇役をいただけました。ユダヤ人以外のキャストで舞台を演出するプロジェクトで、たまたま応募したところ、有難い事に合格。
第二次世界大戦中の話であるため、厳しいダイエットで体を絞り、実際にアウシュビッツ強制収容所から生き抜いた方のお話を聞いて役作りをしました。
「外国人にユダヤ人の心はわからない!」とユダヤ人の方々からは否定的な批判もいただきましたが、舞台は大成功。10日間昼夜の舞台で、連日満席、拍手喝采をいただきました。この体験により、何事もコツコツ頑張れば必ず夢は叶うことを改めて学びました。
それでも、なかなか上手くいかなかったことはありましたか?
私にとって全く上手くいかなかったことは、子供を授かる事でした。アメリカ滞在中に幼い子供たちのベビーシッターを4年間やらせていただき、それがきっかけで子供が大好きになりました。特に子供達も片親で育っていたので、私の環境と重なり、ますます愛情を注ぎたくなりました。子供を授かって母になることが新たな夢となり、30歳からの15年間は旦那様探しと妊活に励みました。
一生懸命頑張れば何でも手に入ると信じてきましたが、努力の甲斐もない事が世の中にもあるということを思い知った期間でした。
当時は不妊治療を行っているクリニックを探すだけでも困難でしたが、有難い事に35歳から治療を開始。まずは体質改善。夜10時に眠る朝型の生活に変え、妊活用サプリを飲み、東洋医学の針や鍼灸にも通いました。そして人工授精、体外受精の繰り返し。失敗しては「次こそは!」と期待を持ち、失敗した辛さを乗り越えていきました。しかし、私が45歳となった時、子宮筋腫が原因で子宮を摘出する手術が必要となりました。つまり、私は一生子供を産めない体となったのです。産婦人科でその事実を知った時、帰り路で涙が止まらなくなり、家で大泣きしました。自分が生きている価値が見いだせず、随分長い時間落ち込みました。
辛い時期を乗り越えたあと、大きな成功体験を教えてください!
妊活失敗後の成功体験は、とにかく自然に触れたことです。ちょうど子供を諦めた頃、母親が認知症となり、急に介護が必要となりました。自分の心が悲鳴をあげているのに、母のケアも必要になり、正直に言うと人生で一番のどん底の時期でした。
また、コロナ禍で一人で引きこもる事も多くなり、どんどん気持ちが落ちていったのを覚えています。どこかに逃げたい気持ちで一杯で、ひとまず海に行き、サーフィンを始めてみました。サーフィンが上手くなりたかったわけではなく、自然に触れて、ただ単に現実逃避がしたかったのです。45歳の新しいチャレンジでしたが、海では新しい仲間ができ、波にも乗れるようになりました。そしてサーフィンが楽しくなり、沖縄やバリなどにサーフトリップにも行く事もできました。大自然に慰められた頃、たまたま海で出会った男性が今の私のパートナーです。
彼はありのままの私を受け止めてくれ、今では海辺で一緒に暮らしています。
私の現在と、ミセスユニバースジャパンを通して社会に伝えたいこと
現在は、事業会社で人事部の部長を務めています。副業で社外メンターもやらせていただいております。
私には子供がいませんが、その代わりに、男性の育児休暇取得率の向上や女性の社会進出を応援する会社づくりに取り組んでいます。今、弊社では男性の育児休業取得率を100%に達成することができました。社外メンターとしては、若手社員のキャリア構築のアドバイスをしています。
ミセス・ユニバース・ジャパンを通じて社会に伝えたいことは、「夢は思い続ければ必ず叶うこと」、そして「年齢に関係なくチャレンジする事の大切さ」です。
最後に一言
助けが必要な時は、遠慮せずに助けを求めていいのです。
元気が出ないなら、思いっきり休んでみることも大切です。
一般的に、日本の女性は頑張りすぎる傾向があります。だからこそ、自分に優しく、もっと笑って人生を楽しむべきだと思います。口角を上げて、思いっきり笑ってみてください。
「笑う門には福来る」ですよー!
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7/15(火)の日本大会開催まで、一人一人が様々な形で努力を続けています。
ぜひ皆さまも応援お願いいたします!
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